2021/6/6

何をしてもいいのだとしたら何をしたいのだろうか?考えても考えはまとまらず、思考はあっちへ行ったりこっちへ行ったりする。24hオープンしているジムのシャワーを浴びて一日の汚れを落とすと体だけではなく心まで清められた気がした。隣人のひゅうがくんの部屋のエアコンを取り付ける。誰も悪い人はいない。それぞれに幸福の形がある。ある人は突然亡くなっていく。自殺してしまう人もいる。金を払えば欲望を満たすことができるが、満たした途端に虚しくなってしまう。不便さが想像力の源である。もっとよくしたいという向上心が工夫を生み出す。日常に変化を加えると新しい風が吹く。どこへ向かっているかも分からないが、どこへ向かっているか予想できていたあの頃よりも毎日を楽しんでいる自分自身がここにいる。音楽はムードを変える。食にこだわりがないといったら嘘になるが、別に流行りの店には興味はない。数字が取れれば幸せに直結するというわけでもない。ささやかな愛が私の心を柔らかく包む。そこに数字は存在しない。蚊取り線香の煙、ピースの煙、ラベンダーの香り。間接照明が深夜の闇をほのかに照らす。まだ何をしたいのかすら分からない。もう24歳だというのに。ただ語り合ったことだけが思い出として鮮やかに彫られていく。想像もつかなかった場所にいる。これからもそうでありたい。変化を受け入れている。このままどこへでも行けるような気がする。私が決めることではなく、ふとした時に閃くみたいだ。形のないものだ。形あるものは崩れていく。街にすべてがある。人生の中で出会うすべてが愛しいと思う。それがそこにあることが素晴らしいことだと思う。

長期投資は資金効率が悪い。資金が少ない私にとっては有効な手段ではない。デイトレードスイングトレードといった短期的にリスクを取りながら資金を回転させていく方法のほうが理にかなっている。だから私はトレーダーとして一歩踏み出した。

人と出会い、人と語り、書物を読み、自分の心と向き合い、この世界の探求を続けていく。やりたいことは、人生の探求以外にないのである。他に何もないのである。