2021/6/7

 少し引っかかっていることがある。トレードについてだ。トレードとは交換を意味する。日常のあらゆる場面でトレードを行っている。息を吸って吐く。労働力を提供して、賃金をもらう。お金を払って、食材を買ったり銭湯へ入ったりする。情報を買ったりもする。すべての人間が交換をして生きているというのに、満ちた様子の人間もいれば、枯れ果てた様子の人間もいる。この違いは何なのだろうか、疑問に思ったのである。人生を彩り豊かにするためのあらゆる道具、観念、考え方、サービスが世の中に溢れている。そこから何を選び、何を捨てるかは個人の選択で変わってくる。つまらないと感じるならば、それは主体的に選び取っていないからではないか。お金の量じゃない。それは今の不便な暮らしを楽しんでいることから実感している。楽しいと思う時、それは既存の人間の観念、いわば脈々と続く人類の歴史が生み出した言葉というものを、主体的に組み替えて遊んでいるときだと私は考える。それが意志というものだ。意志を持って人生に向き合えば、自然の流れに完璧に調和していく。どうなるのかは分かる由もないが、すべてがうまくいく。あらゆる出来事を受け入れられるようになる。トレードは自分と向き合うこと。すでに持っているものをどのように交換していくか、ここに意識的になるとき、身の回りは豊かになっていく。不足しているものはなくなっていく。情報は潜在意識に入り込む。街で目にする広告、他人の言動、スマホの言葉、すべてが情報となって私の潜在意識に入り込む。だから見たくない情報をわざわざ見なければいい。それだけで自分の本当にやるべきことに集中することができるようになる。相場を張る際には、実弾で取引する前に、期待値がプラスになるかどうかを過去のチャートから検証する必要がある。ルールを作る、つまりお金を流す枠を作る前に、我慢できずに取引すると食われるだけ。期待値がプラスになることが過去のデータから明らかになって、初めて実弾で取引をするべきだ。そしてルールをブラッシュアップし続けることで、相場の波に乗り続けることができる。自分を通過するマネーの量は増えていき、お金に苦労することはなくなっていくだろう。話は変わるが、お金を稼ぐには上記のように行うとして、お金を使うことはかなり難しい。自分を中心として、どこにお金を張り巡らすのかということだ。自宅空間、食材、インテリア、情報、交友関係、それぞれ工夫してやっていく。個人的な夢としては、現代の人間を題材にした巨大な創作をしたい。自分を見失った人間がハッと我に返るような、つっかえるような胸の苦しみが溶けて涙が零れ落ちるような、母の手の中に抱かれていた頃の安心感を思い出すような、そんな創作を生み出したいというのが、私の個人的な今世でのやりたいことである。

 新しい人たちとの出会いが私の人生に色を与える。お疲れさまでしたと、彼方へ消えていく。私もお疲れさまでしたと返事をする。なぜここにいるのか分からないまま、もはや流れるままにここにいる。不思議な感覚を感じるのは、自らの意志でここにいる気がしないから。こんな言葉を自分が紡いだわけないじゃない、過去のブログを読み返してそう感じていた。とても不思議な感覚に浸っている。空は暗くなり、今日もまたシャワーを浴びに行くのだろう。だらりとした昼下がり。梅雨の湿気。今日も日々が過ぎ去っていく。感謝なんて無理にする必要はない。自然と湧き出る感情なのだから。