2021/4/19

 7時半に起きる。二度寝、体が温い。思ったよりも軽い。NBAを見る、というより渡邊雄太の活躍を見守る。久しぶりの煙草がうまい。4月中旬、気温もよい。桜はすでに散り、夏の前のほんのひと時を味わう。ステンレスの物干しが風に揺れている。白い蝶々が飛んでいる。風にどこへ導かれ、どこへ向かうのかも分からないまま飛んでいる。何もない日々は退屈この上なく、人と会う予定が入るだけで嬉しくなってしまう。東京で一人生きている。私も春を懸命に生きている蝶々のように、どこへ向かっているのか分からないままだ。開かれた世界の中で立ち往生している。出会う人は皆それぞれのやるべきことをやっている。私はいまだ何をしているのか分からないまま時間だけが過ぎていく。だがしかし、体は少しずつ変化していく。地球のリズムに近づいているようで、体調は悪くない。肉体労働は性に合っている。夜は休息の時間、昼間に労働するほうがよいかもしれない。今度労働時間の変更を伝えてみよう。外を歩けば、人、モノ、金が動く。皆がそれぞれの仕事をしている。本能むき出しのままでは、刑務所へ連行される。人は動物であるが、理性を持っている。それは何を意味するのだろうか。社会は形式である。複雑に入り乱れた枠組みが張り巡らされている。いつものパターンだ。金がなくなることを恐れ、既存のレールから脱線することを恐れ、独身のまま息絶えることを恐れ、世間体に従わないことを恐れ、どこに安らぎがあるのだろうか。恐れは本当に恐れなのだろうか。私はドロップアウトしてしまった。拠り所はどこにもないが、それでも生きていかなければならぬ。そんな大層なことではなく、驚くほど力が抜けている。何も持っていないゆえに、何も失うものがない。人間は動物である以上、持つものも持たざる者も、自然の範疇から抜け出すことはできない。無限に食べ続けることも、眠り続けることもできぬ。そして最後には死が待っている。彷徨うように時を過ごす。