2021/4/16

 8時半に起床する。目が覚めると体が重い。肉体労働の憂鬱が纏わりつく。やりたいことだけやっていても退屈なのに、やりたくないことは嫌だ。なんて我儘なのだろう。結局、逃げ回っているだけではないか。情けなさに腹が立つ。全力でなにかに打ち込みたい。なんでもいいのだ。わたしの憂鬱が晴れるのは、それ以外に無いのだろう。エゴは抵抗にしかならず。体はやるべきことを察知している。自然の流れに任せよ。意識を使え。枠をつくり、そこに流れよ。あらゆるものに手出しするな。本質はいつもひとつに流れ着く。手段が多ければいいものでもない。静かにやるべきことをやれ。意志を用いて、進みたい道を自らつくれ。

 労働に追われ、息をつく暇もなく、ただ体を動かす。ストレスを発散するために、酒を飲む。女を買う。食べたいものを食べたいだけ食い散らかす。悪循環になっているように見える。看板が出ている街のビジネスは、需要があるからこそ存在している。私の人生に必要ないとしても、誰かの人生には必要だったりする。果たして朝から晩まで労働する必要があるのか?過剰に提供されるサービスが当たり前という世の中が、人間から考える余地を奪ってしまう。私はいま自分の人生を生きていると実感している。生きていく中で直面した憤りに問いを立てながら、自分の頭で考え、前に進んでいるからだ。一方で世界を見渡せば、ありもしない世間体という固定観念に縛られた人間の姿が多々目につく。実際そうなのだろう。世界を大きく変えることはできないが、自分の周辺は変えることができる。どうすればいい?ただ自分にできることをやっていくだけだ。ゴールを決めれば、余計なノイズに支配されず、集中して歩んでいける。毎日5時間の労働は、程よいストレスとなり、暮らしに張りをもたらすと考える。生活費も稼ぐことができ、一石二鳥だ。自分の人生に必要ならばやればいい、必要ないならやらなければいい。シンプルだ。やりたくないなら断ればいい。やりたいならそう伝えればいい。