2021/4/17

 6時半に起床する。体は軽く、伸びをすると気持ちがいい。蜂蜜入りの紅茶。煙草が美味い。飯は食べない。午後から土砂降りの雨が降るとラジオから流れてくる。傘を持って通勤しないとな。狭い住まいで豊かに暮らす。たくさんの着想が湧き出てくる。想像するのは楽しいこと。不安はすぐそこにあるのだが、染まらなければよい。心の荒みが渇望感を生み出す。苦労して稼いだ金は絶対的な存在と勘違いし、金を多く支払えば荒みを癒やしてくれるという間違いを侵す。ミニマムになっていくのだ。わたしに取り憑いた世間的価値観を落としていった先に残ったものこそ本当に必要なもの。ブレることもない。なぜなら自分のやっていることがどれもだか正しいからだ。堕落すれば地に落ちていく。堕落するのは己の無意識。世界は道具箱だ。要らなければ使わなければいい。自分の望みを創造し、必要なシステムだけ活用しろ。街は楽しくて、いつも違って見える。煌めきがキラリと光る。私はそれを見逃さない。見逃したくはないのだ。

 今日も今日とて清掃をする。腰を曲げ、手足を使い、客室を整えていく。肉体の疲労が突き刺さる。社会の効率性に染まり、追い立てられるように仕事をこなす。このままではだめだ、と思ったりするのであるが、考える間もなく現実は押し寄せてくる。時間を意識せずに目の前のやるべきことに対峙できているときは、自分でも驚くほど的確に素早く作業が進んでいる。そして人の声が聞こえぬほど「いま」に入り込み、静かなのだ。筋肉痛と疲労感で体が悲鳴をあげているのが聞こえる。しかし、仕事終わりの空腹感。飯がうまい。空気がうまい。その日で完結する達成感。日を跨ぐタスクがないすっきり感。銭湯の熱い湯が染み渡る。なんとも充実している。世間的には異端かもしれないが、私は幸せだ。稼ぎは驚くほど少ないが、私は幸せだ。身の回りのすべてのモノは誰かの仕事で届けられた。肉体を持って働くことで、その事実が身に染みる。頭ではなく体で理解できる。自宅に籠もり、PCのキーボードを打ち込んでいるだけでは感じなかったこと。仕事の価値は以前よりも低いかもしれないが、それでもいいのだ。少ないもので豊かに暮らす。足るを知る。こんなフレーズが好きだ。無駄が削ぎ落ち、本質が見える。明後日はピッキングという新しい仕事が待っている。少しの不安と未知への楽しみを感じる。このまま信じたことをやり続けていきたいと思う。