2021/4/13

 8時にベッドから這い出る。隣人の物音が耳に触れ、早朝から苛立ちのような感情に包まれる。ざわついた人の温もりを求め、いつもの如く近所のコメダ珈琲へ向かう。会社へと急ぐリーマンが改札ホームへと吸い込まれていく。瞳は心なしか不安の様相を私に見せる。働きにに行きたくないのだろうか。曇天の火曜日である。心は浮足立っており、ここにないみたいである。あの頃を思い出していた。世界はどこまでも無限に広がっている気がした。出会いは刺激を与えてくれた。窓から心地よい風が、季節によって変わる花の香りとともに漂ってきた。Mr.Childrenの楽曲が弾む気持ちを後押ししてくれた。シーブリーズの甘い匂い。欠けているところなど何ひとつもなく、青年時代の青い春であった。心を閉ざしてからは、虚しさと孤独で一杯になった。あの頃の満たされていた心境を取り戻そうと、手探りで世界を掴もうとしたが、いつも残るのは焦燥感だけであった。時代から取り残されたような気がして、胸の痛みが実感として感じられた。平和はどこへ行ってしまったのか。街を観察すれば、空虚に感じられた。私を満たしていた何かはどこを探しても見つからなかったからだ。「いらっしゃいませ」と出迎えてくれる店員の言葉は、機械のように冷たく感じる。待ちゆく人たちは、操り人形に見えて仕方がない。世界に期待しても、世界は私の望みを叶えてはくれないことに絶望してから、ようやく自発性が意識の中に灯った気がした。すべてが虚構だとしても、その外側にはなにもないのであった。魅力を感じる対象は時間の流れの中で変化していった。私の目を惹く奇跡は、夢のようであった。それを望み続けていれば、それだけで幸せに包まれるからであった。立ち止まってしまえば、流れは途絶えてしまう。躍動し続けるためには、意志を灯し続けることが必要である。魅力の奥底にあるきらめきが、形容できない共通したなにかであると知ってからは、いつ、どんな状況でもそれを感じられるのだと信じるようになった。それと同時に人間のあらゆる苦悩は、それに触れていないから生じる病だと感じるようになった。社会的肩書ではなく、心を支配することが世界を制する鍵である。そしてそれはすべての人間が持っている力である。CEOになっても、使い切れぬお金を持っていても、虚しさに潰れてしまう人間がいることが、このことを確固たる事実としている。というわけで、いつ、どんな状況でもこの世の本当の富に触れながら生きていくために、暮らしをどう整えようかというのが、私の問いである。想像はどこまでも自由に広がっていく。想像の世界では、想像し得る限りの自由を描くことができる。中空を飛び、漆黒の夜空の中でキラキラと輝く星空を愛する人と眺め、宇宙の闇に漂い、色鮮やかなイルカたちと泳ぐ。空想には制約がないが、現実には制約がある。いや、違う。思い描ける限りの出来事は、現実でも叶うのかもしれない。夢が実現しても、それに固執し続けると腐っていく。手にすれば輝きは消えていく。肉体は循環に乗り、うまいことやっている。共感できるのは、私の心とあなたの心の源泉が同じだからである。喜びも苦しみも私の視点に立つことで、想像し、共感することができる。それぞれがそれぞれの仕事をしているから、そこに憎しみ、願望、嫉妬、喜び、開放感、愛が生まれる。それを私は見逃さない。それを私は書きたい。世界に物語が生まれる。それは愛の表現となる。だから私はそれを書きたいと思う。深い苦しみを味わったことがあるからこそ、人の苦しみに寄り添うことができる。苦しみを知らない人間が、どうして他人の苦しみに寄り添うことができるのだろうか。そんなことはできやしないのである。出来事に反応して生じた心の揺れ、癖、乗り越えるということ、組み替えるということ、新しい人生を生きるということ、突き抜ける幸せ、底の見えない虚しさ、落ち着く雨の音、手が追いつかない業務の焦り、なにがあっても全てが丸く収まるということ、これまで体験してきた心の揺れを物語として形にしたい。突き放すのではなく、寄り添えるような愛を添えて、言葉にして紡ぎ続けることができたのなら、私は幸せに生きていける。