2021/1/11

 学歴と資格を追い求めていたのはなぜだろう。その根源はなんだろう。皆がそうだったからというのが一つ。皆と同じというのは、自ら考えなくてよいから楽なのだ。学歴があると一流企業に勤められる可能性が高くなる。資格があると首を切られる可能性が低くなる。なぜ一流企業に勤めたいのだろう、首を切られたくないのだろう。首を切られてしまうと、生活が立ち行かなくなる。待っているのは困窮した暮らしと死。頭の中でこのような式ができているからではないか。安定と金を求めている背景には、生活に困窮したくはない、死にたくはないという恐れがあるのではないかと思う。俺は大衆が恐れおののく立場に自ら向かう。安定した企業のキャリアを捨て、季節労働者となった。現代の便利さには馴染まない風呂無し四畳半の一室を借りた。先が見えるのが嫌いなのだ。決まりきった労働を着実にこなしていれば、契約上定められた金が毎月口座へ振り込まれる生活を捨てた。生きるとは先が見えきったものじゃないのだという自分自身の本心に従った。極めて怖かったがこれでこそ俺の人生だ。幼き頃のように、自分自身の足で地面を踏みしめている実感を感じている。自分の頭で考えず、人づてで耳にしただけの話を我が物顔で語る人間が俺は嫌いだ。そんな人間にはなりたくない。社会には皆が信じ込んでいる大きな流れがある。非正規雇用ではなく、正社員が良い。ぶっ飛んだほどのお金持ちはやましい。フリーターは落ちこぼれ。若き頃は恋愛し、結婚すべきだ。子供を産むべきだ。良い企業へ就職できる確率を高めるために、大学へ進学すべきだ。日本の社会を注意深く観察していると、皆が信じ込んでいる大きな流れこそが正解で、自分で考えたものだと考えている人間が多いように見受けられる。赤信号を皆で渡れば怖くないを、まさに具現化しているみたいだ。自分自身のスタイルを確立した人間などゼロに等しい。対照的に光を放つ人間は、自分自身のスタイルを確立している。俺は唯一無二でありたい。日々銭湯に通い、四畳半の風呂無しボロアパートを拠点に季節ごとに需要が生まれる場所へ出向いて生きるための銭を稼ぎ、人間を探求する相場師でありたい。均質に整えられた商品のように消費される人生なんぞ送りたくはない。