2021/1/10

AM7:00に設定した目覚ましの音で一度目覚めたが、二度寝。布団の中でネットサーフィンをしていた。やっとのことで布団から這い上がると、正午前であった。気怠い日曜日であった。訪ねてくる人間はおらず、予定調和で時が流れていった。AVを見て精液を放出した。溜まっていないはずなのに、虚しさからか沸々と湧き出てくる欲求を堪える術が分からなかった。気怠さが倍増してしまった。栄養価の乏しいスナック菓子を胃袋に詰め込み、腹が満たされた気分になった。ひたすらネットサーフィンに明け暮れていた。こんな怠惰な日々を過ごすのであれば、いっその事思考停止してでも労働をしたほうがマシだと考えてしまった。躍動感のある日々を夢見ては、儚く散っていった。沈黙に耐えられずに煙草を吸った。それはとてもまずかった。真冬の風が心の芯まで凍らせてしまうように感じていた。ひたすらに金を求めることに興味がない。業績の移ろいにも興味がない。人間の本質は何か、ただそれだけが関心事である。世の中に対して違和感がある。皆が学歴を追い求め、勉学についてこれない人間は閉塞感から非行に走る。一流企業では出世競争に巻き込まれ、上から降ってきたタスクを期限内にミスなくこなす。見えないが明確に存在しているレールから外れないことが正しい選択となる。憂いは晴れない。日差しも弱まり、寒気が増してくる。私の心とは対照的に、時計の秒針は規則正しく打っている。億万長者になりたいと願っても、銀行の口座には億単位のお金は見当たらない。彼女が欲しいと願っても、私の隣で微笑んでくれる彼女は現れない。仕事で活躍したいと願っても、降ってくるタスクは泥臭い資料収集である。一体何を見落としているのだろう。願えば願い事が叶うとは嘘だったのか。願いが願いとして浮かび上がってくるのは、私がそれを知ったからだ。輝いている人間を見て、その形式だけを真似ようとしても、輝いている人間にはなれない。輝いている人間は、自らが輝いていることを知らない。なぜならば知る自分自身がいないからだ。躍動感に包まれるとき、他人に憧れる想いは消える。自ら問いを重ね、自分だけの道を進んでいける。親や学校から植え付けられた道筋は間違いなく薄れてきている。その代わりに、自分の中で内省を重ねて紡ぎだした意志が私を包んできていることを感じている。原因不明の閉塞感も薄れてきている。その代わりに、先が見えない不安と先が見えないからこその胸のトキメキが私を包んできていることを感じている。バカ騒ぎすることにも、酒に酔いしれることにも、興味はない。居心地の良い自宅や静寂の図書館、喫茶店の明かりの下で読書に明け暮れたい。目の前には巨大な広場が広がっている。行動をすれば景色は変化していく。想定外の出来事が私を未来へと進めてくれるはずだ。