2020/12/24

エジソンランプを垂らす。デスクは木製且つ幅狭、奥行きが広い天板に取り換える。畳がへこまないよう床用チェアシートを購入する。本棚を2つ並べる。冷蔵庫の上には布を敷き、コーヒーメーカーと炊飯器を置く。絶世の美女とOSHOと家族の写真を飾る。美しい山海の写真を飾る。吊り下げ型の植物を飾る。水墨画の掛け軸と絵を飾る。ガスストーブと目隠し用のカーテンを購入する。遮音シートと吸音シートを張り付ける。ホワイトボードを張り付ける。イメージが大事である。どうありたいのかのイメージが大事である。詩人の描く壮大な物語を読みたい。私の眼下に広がる風景をビデオで撮りたい。人間の観察がしたい。孤独が私の居場所。何にも関心が湧かず、、体が歪み、息もできない。人間の探究。お金の流れの探究。部屋を快適に。エクセティックに。マインドはついてこれない。流れゆくままに。計算することはできない。感覚100%で。華ひらくように。流れ通るように。世界が歪んで見えている。肉体が歪んでいるからだ。自らが歩んだ道を引き返す必要がある。何もプライドはなくなった。じゃあどうする?閃くままにやるだけだ。誰の目も気にすることなく、閃くままにやるだけ。自分のことを考えるのは楽しい。久しぶりに楽しいと感じている。外に求めて消費を繰り返していたころよりも楽しいと感じている。何もしないまま時がたつと苦しい。早朝に目覚め、その日やるべきことを書き出すことで濃密な時間が流れる。この感覚を応用しよう。文字通り充実した日々を送ることができるはずだ。日々実験的に、より良くなるように改善し続けること。夢は叶う。イメージしろ。想像して創造して破壊して、また想像しろ。金をかけても満たされず、金をかけなければ貧者となる。どうすればよいかを考えろ。金をかけても、かけなくても美しい暮らしはできるはず、そこに意識があるか、魂が籠っているか。壁にかかったホワイトボードには、今日のご飯が描かれる。チャートを動かすトピックも描かれる。買いだす予定の商品や思いついたアイデアも描かれる。つまり私の脳内が描き出されれるのだ。ステップを決めて、日々を生きるのだ。美しく。誰も私を止めることができず、私は誰をも止めることはできない。それぞれが輝いているから嬉しくなる。与えられると、お返しをしたくなる。お返しをしなければ、気持ちが悪い。そんなことを考えているうちに夜も更けて、闇が街を覆う。意識は平等だから、何にエネルギーを注ぐかで個々の表情が変化する。俺は自分の人生を自分で作りたい。これほどの強い気持ちがあるから病んでまでもこだわり続ける。それが最高だと体が叫んでいるのが分かる。俺は自分の人生を自分で作りたい。世間の常識とか一切を崩して、自分の人生を自分の感性のままに作りたい。変化を拒むと淀み腐っていく。気持ち悪さが身を包む。だから吐き出していく。淀みをきれいさっぱり流していくこと。誰もが羨む暮らしではないかもしれないが、私自身の内面が喜んでいればそれでいい。陳腐なものに踊らされるな。意識高めていけ。無意識に支配されるな。波動の高い環境を構築し、波動の高い人間と関わるように。一から出直せばいい。生きている限り、いくらでもいつからでもやり直せる。だから初めからやり直せばいい。誰もが明日に怯えている。不安は尽きない。死が迫っているからだ。死を受け入れたのなら、何に恐れるというのだろう。死が怖いから、子孫を残すのか。死が怖いから、まだ見ぬ世界へと観光に繰り出すのか。世界の隅々まで一滴残らず消費し尽くした先に、虚しさ以外の何も残っていないのに。閃きをビンビンに解き放とう。熱中できること、本気で打ち込めること、誰に何を言われても気にならないほどに我を忘れて没頭できること。俺は波に乗るプレイヤーであり、実践家として生きる。心の声を聞け。どうありたいのかを心は知っている。一朝一夕では身につかない。だから日々努力して一生懸命にやる。私がいなければ、世界は存在しない。悲しみもいら立ちも嫉妬もうれしさも好きな女性の柔らかさも存在しない。トレーニングをすることで肉体の巡りがよくなる。それは正に実感できることだ。ベンチプレスにスクワット、ランニングにチンニング。自分のために、自分の精神を整えるために、運動は欠かせないものだ。継続的に行っていくこと。お金の流れを捉える。不思議とスキャルピングデイトレードには魅了されない。そうかといってバフェットのように5-10年のスパンで株式を保有するような長期投資にも魅了されない。一つの波を狙い撃ちするスイングトレードに魅了される。権力者の政治を左右する言動、大衆を煽るマスコミの言動、企業の動向、様々な因果が絡み合い、株価が上下する。ほどほどがよい。ほどほどにチャートを見て、企業動向を見る。画面に張り付く必要もなければ、数年間売買をしないわけでもなく、私にとってはちょうどいい、ちょうどいいということは、合っているということだ。それは流れに溶ける。この人生で投機を追求していきたい。私は恥ずかしがりやで、シャイで、奥手で、タイミングを取り逃す傾向がある。皆が当たり前に生きていることが不思議でならない。当たり前に恋愛し、結婚し、家を購入し、車を購入し、酒を飲み交わし、イベントごとを楽しみ、与えられた仕事をせっせとこなす。そんな姿を見ていると、私はいつも取り逃す。周囲から遅れを取っているようで、たまに落ち込んだりもする。いつも自分の心を見つめている。そして自分自身の不甲斐なさにやるせなさを感じる。それでも朝になれば、何事もなかったかのように、歯を磨き、排泄し、新しい日を楽しんでいたりする。誰もが自分のことをやっているから、自分も自分のことをやろうと決意する。街を歩くカップルに嫉妬する。少しばかり顔面がよいから、自分よりも不細工なカップルを見ると、なぜ自分に恋人ができないのかと嫉妬する。自分よりも不細工な男が美人な女性を連れて歩いていると、どうして自分には美人な女性が隣にいないのだろうかと不貞腐れる。自分よりも仕事ができないのに、幸せそうに笑っているその顔に、腹が立つ。私はくだらないことで悩んだりする。フリーターよりも正社員の方が優れていると思っている。経済的にも正社員の方がお金をもらえるし、信用も正社員の方がよく、もしも結婚するとか、出会いの場に行ったときに安心されたりすると思っている。正社員の方がフリーターよりも高度な仕事を任される、頭を使った知識労働を任されるから、正社員の方が優れていると思っている。こんな限定的で視野の狭い自分自身のマインドに、腹が立ったりする。もっと自由に空を飛びたい。もっと自由に、どんな人とも笑い合いたいとか都合のいいことを考えていたりもする。最近は9時半ごろに布団からのそのそと抜け出して、10時前に始業するというなんとも怠惰な一日の始まりを送っていて、なんとかしたいとか思っている。これまでの経験上は朝の6時半前に目覚めるとエネルギーに満ち溢れ、一日が驚くほど長く感じる。そして2日と続かない怠惰な自分自身を殴りたい。虚しくって虚しくって夜更かしをしたくなるのです。夜にうつらうつらとネガティブな考え事が辞められない。そして夜も更け、朝の目覚めは後ろ倒しになってしまう。すべての不の原因は虚しさだ。やりきれない思いと、満たされない心をどうにかしなければ、あっという間に時がたち、人生は終わってしまう。嘘じゃない。そうなのだ。まさに人生は終わってしまう。パーッと気を紛らわす友人もおらず、ただシクシクと泣いていたりする。そんな日々にうんざりする。私は基本的にネガティブだな。いつも悪い方向へ悪い方向へと考える癖がある。受け入れたいものだ。私の眼下で起こる想定外の出来事を受け入れたい。どんなことも笑ってやり過ごせるほど最高なことはないものだと思ったりもする。もっと書きたい。己の中に眠る毒を洗い流したい。世界の皆と笑い合いたい。