2020/12/25

クリスマスである。気づかないうちに、冬が深まってきていた。時期に年が明けるのだろう。その日まで生きていられたらの話であるが。そこで営みが繰り広げられている。獲得する日々ではなく、失っていく日々を過ごしている。出会いがあれば、別れがある。私は生きづらさを感じている。それはここにあり、拭っても拭っても纏わりついてくる。寝ても覚めても付きまとってくる。この生きづらさから逃れたいがために、AVを見て快楽に耽る。甘いチョコレートを食べつくし、倦怠感がやってくる。分かっているのにやめられない。自らの手で自らの身を滅ぼしている。こうすればいいのだという方法論で解決しようとしても、振り出しに戻ってしまう。静かにしていると丸く収まるのは、それに干渉しなかったからだろうか。素通りすれば、ネガティブな思いさえも拭い去ることができるのだろうか。いつもできるできないで物事を考える。その方法しか知らず、迷路の中にいる。仕事を辞めることになった。無職になり、金が尽きて、風呂にも入れず、飯も食えず、糞尿をまき散らし、這い蹲って死ぬ運命なのだろうか。そんなことを考えていたりする。もしもあなたが傍にいたら、私は頑張れるのか。物思いに耽っていたりする。私は本当のことが知りたい。消えゆく儚きこの世のことではなくて、永遠を感じたい。ずっと変わらずにここに満ちている目には見えない存在を感じたい。その気持ちだけでここまでやってきた。物事はどんどん良くなっていく。幸福に幸福が集まっていく。負のスパイラルが起きる。そんな話を聞く。不思議でならない。上昇するパワーを自分の手中に収めることができたのなら、自分の暮らしは正のスパイラルが起きるのではないか、そんなことを考えたりする。他人から結果を褒められたから、うまくいったとするのか。そうではないだろう。他人から何も言われなくても、自分の内側から溢れる充実感が満ちてくれば最高なのだ、うまくいった、なのだ。私の中で流れる風景は、声は、天地の動きは、思い通りにいかない、都合よくいかない。夜空に流れる星々をどうやって止めることができるのだろう。駅の構内で泣きわめく赤子をどうやってなだめることができるのだろう。私の行為でさえ、私の言動でさえ、どうやって止めることができるのであろう。エゴは妨げることしかできない。エゴは流れを滞らせる。でも私がいなければ、世界は存在しない。私が世界と呼応して、どんな風に感じ、どんな風に行為をするのか、楽しめばいい。ひねり出そうとしても、何も生まれない。そうかといって、不意に閃くものだ。明日はどこで何をしているのか分からない、知る由もない、そんな在り方をしていたい。エゴに捕らわれず、いかに流れに呼応するのかが鍵となる。思わぬ方向から風穴が開いたりする。だから私は、どこへも行かずここにいる。時期を待つ。あの時は目にも入らなかった分野に興味を抱くものだ。どこにでもいるさりげなさの中に、美しい魂を秘めている、そんな人間でありたい。誰もあなたの傍にいないのであれば、私が隣にいてあげよう。思考をどう使う?考えないとは?いつも考えてしまう。心の動きを見つめる。どうすればいい?どうすればいいのか?街を歩いていると、行き交う人々から連想が進む。思考のモヤがかかり、感覚が薄れていく。自己探求する。この苦しさのまま。誰も救ってはくれない。自分で自分自身を救うのだ。手がつかず、苦しい。何をしても虚しい。それぞれがそれぞれのことをしている。ふとした一言にガツンと来たりもする。街でコーヒーを飲んでも、思考は止まらない。皆が語り合っているというのに、何もしないまま眺めているだけである。歩いて心のモヤモヤを散らす。書いて心の詰まりを流す。そうでもしないと鬱血して死んでしまいそうになる。歩くのは自然なことで、書くことは自然なこと。そうでもしなければ死んでしまうから、呼吸のようなもの。眠っている間はいいのだ、目覚めた瞬間から頭にはモヤがかかり、生きづらさだけが纏わりつく。助けて欲しい。誰かに話を聞いてもらっても、最後は自分で自分の心と向き合わなければいけないと思っている。勇気を出して、自分のやりたいことをやろう。世間のやるべきことではなくて自分のやりたいことをやろう。まただ。またネガティブに入り込んでしまう。どうすればいいのだ。どうすればいいのだろう。これは終わりがない。無限に続く地獄の底にいる。先入観がある。正解を探している。正解があるものだと思い込んでいる。どうすればいいのだ。途方に暮れてまでも、またネガティブに染まる。みなとみらいの船着き場で波の音が聞こえる。長閑な休日の朝に、大好きな女性と手をつないで歩きたい。疲れたからといって、コーヒーショップに入り、小話をしながら、時間の流れを感じていたい。人生は楽しむためにあるなんて信じられない。苦悩の連続である。怒涛の仕事が押し寄せる。金の支払いが留まることを知らない。孤独な自分と対照的に街ではカップルが、子供連れの夫婦が、楽しそうに謳歌している。寒さが骨の髄までしみ込んでくる。誰も傍にいない。社交場へ行く勇気もない。親と弟は遠く彼方に。間違いなく人生と向き合っている。それだけが確かなことである。人は価値を見出す。何もなかったはずなのに、形が生まれ、魅了される。目が輝く。それはなんだろう。人生の探究がしたい。宝箱のように日々起こる出来事や自らの心の動きを観察し、古今東西の書物を読み、人生の探究をしたい。どうしても分からない。30歳になるまでだ。30歳までに、人生を探求し、投機を行う。どこまで行けるか、世界を探求したい。ご飯をつくり、体を動かし、夜に眠る。本を読み、朝日と共に目覚め、洗濯物を干す。生活に必要なお金を稼ぎに働きに出かけ、世間様と関わる。しかしね、みっともない人間が街をうろついているものだ。一見した瞬間にその人の生き様が分かる。オーラというものなのか、にじみ出てくるものだ。目がくすんでいたり、投げやりな行動をしたりする。意識の強弱によって、人の在り方は変わってくるものだ。輝いている人間は、輝いている。楽しむためにちょっとしたおしゃれをしたりする。肌つやはよくて、知的な眼差しをしている。そんな人間と関わりを持ちたいと思ったりもする。