2020/8/29 ①

意識の流れを追う。昨日を思い出す。夏の日差しが暑く眩しかったから、遮光カーテンに閉ざされた空間でエアコンを効かす。仕事は言葉を読むようなものだ。知り合いのいない東京は刺激に欠ける。目を瞑り己の中へと沈んでいく。自由だと思い描いていた大人の像はガタガタと崩れていく。形のない何かを追っていたな、そんな人生を送っているのだ。切り取った部分だけを見るから、嫉妬の感情に吐き気を催す。栄枯盛衰とはまさにこのこと。剥げて死ね。しわがれて死ね。誰もが死んでいく。誰もが消えていく。朝焼けが昇る直前の、潮風香る浜辺の散歩が日課の日々を送りたいと思う。さらりとした麻を纏い、アロマ香る中でヨガをするような日々を送りたいと思う。物に溢れた世界は、人間が望んだこと。今もせっせと運び屋が労働し、コンビニエンスストアには滞りなく物が陳列する。突如空いた隙間をビジネスマンは嗅ぎ付け、金が流れ込んでいく。終わることのない循環が私の前では繰り広げられている。息抜きは必要ない。呼吸するように自然と流れる行為が最高なのだ。遠く憧れていたものは実は遠くにはなく、ここにある。刈り取るような眼をして、虚構に浮かんでいるのは違う。緩やかな時間が流れていく。私の心はここにない。私の心はいつも彼方にある。躍動している人間に魅入ってしまう。己の居場所を見つけた人間に魅入ってします。私は中途半端で狭間にいる。このまま先を求めても何もないなあ。このまま先を求めても募る思いが爆発してしまうだろう。誰かを殺めてしまうかもしれない、自殺してしまうかもしれない。いづれにしても悲惨な未来が待っている。いつも夢を語ろうよ。青空の中で生きている現実を形にしたい。それが私のアートで表現で途上で生きることだ。破産を恐れる。食えなくなることを恐れる。最終的には死を恐れる。どうなってもいい。私はどうなってもいい。それが運命だからだ。落ちた分だけ浮上していくだろうから。己を捨てるとは、投げやりとは大きく異なると思う。投げやりとは、既存ルールの中で藻掻くことに近い。他人が構築したルールの網に絡まること、己の意志を捨てること。どうなってもいいというのは、覚悟を持つこと。己の意志だけを信じて己だけのルールを構築すること。己の道を行くこと。一般的には破滅と言われることだってあるが構わない。今浮かんでいることは、他人から引きずられてやりたいと思ったことではない。経理をしたいと己意志で始めた。宇宙の流れに乗っかっただけ。私は何もしていない。昇進したいとは思わない。ただ私にしかできない仕事がしたいだけだ。名前は何でもいい。ただ自分にしかできないことがしたい。自分にしか出せない何かをこの世界に放出できたら私はこの上なく幸せだと思う。