6月13日

 記憶が確かならば、先日は吐き気がするような1日だった。梅雨に入り、湿気を含んだ空気が体にまとわりつくのを感じていた。仕事が始まる直前まで眠っていたことも相まって、気が淀んでいたのだろう。カラッとした空気が恋しいと思った。

 何もできないのだから、せめて優雅さだけは忘れないようにするといい。力んだ行為は気品さと対極にある。ゆったりと構えていればいいのだ。

 サンマルクカフェに入る。コーヒーとパンの香りが、朝のムードを引き立てる。おばさんは吐き捨てるような言葉が口から零れ落ちている。もっと高めていけるような言葉を口にしたいと思った。

 死にたいという気持ちは、3年前よりも和らいでいる。世界のムードは、私の心を満たしてくれる。もっと深く、心という捉えどころのない何かに向き合おうと考えている。

 

(追記)

 9:56を指している。うろ覚えだが、7:30くらいからカフェにいる。

濃い時間は朝に訪れると実感できる。今朝は今週で1番目覚めの良い朝を迎えた。泳ぐことは、まとわりついた想念をきれいに流してくれると思う。私にとっては喜びであり、人生を楽しむためのエッセンスである。今朝の目覚めに感謝しなければいけないとも思う。質素なものに囲まれていたい。奥の奥からあふれてくるものをただただ流していたい。誰もわたしをとめられないよ。次から次へと世界は流れていく。置いていかれないように必死だったのだ。それがめまいとなり、かゆみとなり、骨格の歪みとなって表れてくるのであった。

 ただ前を向いて生きていきたい。私のもとから流れ出てくる言葉が職場のメンバー、赤の他人問わず、浸透していくことを感じている。皆が私にヒントをくれる。大変ありがたい。その気持ちだけをもって生きていければ十分ではないかと思うときもある。正直な言葉は、私をわたしらしい世界へと導いてくれる。その言葉に納得してくれる人々だけが、私のもとに集まってくる。だから正直な言葉を話したい。

 いつか消えてしまうことを恐れているのだろう。本当に私はここにいないのに。誰もわたしをとめられないよ。ひたすら前に進んでいく。