10月24日

俺が確信したこと。それは、どんな時も自分であること。それだけがすべてだ。

 

いいものに触れている。耳から踊り出すビート。漂う雲。その奥の青々とした空。秋晴れ。虫の音。呼吸。地面と足の裏との接地点。調和。木の葉が風で揺れる音。夜には月明かりが。魚が水面に顔を出す。日に当たりたいのかな。ああ、自然はすべてが調和。誰も争わない。すべては愛。論理などない。愛だけだ。

すべてが俺にこびりついた垢を拭い去ってくれる。無垢を感じる。

 

そう。他の誰かになる必要なんてない。社会は今の自分だとダメだと追い立てる。変わらないとと追い立てる。こうあるべきだと決めつける。全く違う。狂っている。

ただ自分であればいい!ありのままを踊ればいい。歌えばいい。これは俺が俺の手でたぐり寄せたコペルニクス的転回である。世界がひっくり返る。希望なんてない。明日はないから。

だから、俺は俺を創り続けていく。

目先の金じゃない。未来はない。今しかない。責任を全て引き受ける。それが自由である。囚われから逃れることが自由ではない。何かをすることができる余裕があることが自由ではない。ただあること。それが自由である。

働く。自分のために。食べる。ぐっすり眠る。鍛錬だ。それはみてくれではない。何かの報酬があるわけではない。内へと入るために。アシュタンガヨガ。そう、形から、体からだ。

 

生かされていることに、すべてに、祈りを。

 

 

10月23日

人に教えるなんておこがましくてできない。常に学びである。どんなに歳を重ねてもだ。教えるのではなく、場を提供し、共に学び合うといったほうがしっくりくる。

お金は大切である。仕事は、創造的に、楽しんでやるのが本来である。そもそも、歩くことでさえも創造的である。行為ではなく、質である。一般的に芸術的であることではない。トイレ掃除ですらだ。要は意識次第でいかようにも変わる。

10月16日

何かが何かと比べてすごいか劣っているかは偽りだと思う。俺がただ気持ちいいと思うことに素直であれればそれでいい。

なによりも、この宇宙と繋がっていたいのだ。感じたことに素直であればいいのだ。命と向き合うこと。己の光を見つめるのみ。

生かされていることに、感謝します。

10月13日

ありのままでいる。自分自身である。

ずっとわくわくすることをする。

ヨガを突き詰める。

みんな真似をする。

社会とかいうよくわからないやつに順応する。

言われた通りに勉強をし、正解不正解を決めつけたテストを受け、いい企業に入れればいいとかか。

その方が楽だから、何も考えずにすむから、自分で何もしなくても周りがやってくれるから。

そんな中でも俺は俺自身である。

ここ数年で、本当の豊かさとは溢れるほどの金を稼ぎ、欲望を満たす、欲しいものが何でも手に入ることではなくて、生き抜くこと、そして素の自分そのものをがむしゃらに表現できることだと思うようになった。

 

10月4日

行動のみ。思想とか、哲学とか大切だけど、動かなければいけないというか、もはや行動がすべて。だから、言葉ではなくそうやって示せる人間でありたい。そうなりたい。

ヨガをし、波に乗り、ビートに乗り、見たことのない道を歩き、生きていくのに必要なものを手作りし、溢れた分は人に分けていく。

それが今の俺がすることなのだ。

過去のメモ

20180414

いつもぼーっと考え事をしている。どこまでいってもきりがないことはわかっているはずなのに止めることができない。頭の中がもやもやで耐え切れなくなると苦しくてイライラして絶望と言っていいのかわからないけどどうやらそのような状態になる。

いままでもいつでも今この瞬間でも僕の関心は自分にしか向いていない。身の回りに人はたくさんいたのにその事実は変わらなかったしこれから他人に深く興味を抱くことがあるのは確信が持てない。基本一人である。親しい人はいない。ただなんとなく話す人がいるくらいである。孤独そのものであるが、もう慣れてしまった。むしろ心地いいほどである。

  ではそんなにいつまでも何を考えているのだろう。自分の何がそうさせてるのだろう。未来への不安なのか、他人への嫉妬心からなのか。おそらくどう生きるかが自分の中で底まで落とし込めてないからだろう。そんな状態で社会人になり働き生きていくことは空虚そのものであると感じるからだろう。なに馬鹿なこと言っているんだと言われたらそれまでだが僕にとってこの問題は生きる上で最も大切なことだから仕方がない。働くこと以上に大事だと思っているから仕方がない。

 どう生きるか。僕は生きていて生き物であり、命がある。だから不自然なことはあまりしたくない。でもすべてほどほどがいい。欲望を満たすことは大事だと思っている。ぐっすり寝て食べたいものを食べて性欲を満たす。禁欲はしたくない。ただここで仏教でいう中庸、ちょうどいいという感覚がないと一気にバランスが崩れてしまい取り返しのつかないことになるので注意が必要である。生かされている。 自分一人では生きていけない。すべての恵みをもたらす大宇宙、周囲の環境に感謝する。命を頂いている感覚を忘れてはいけない。身の回りにあるサービスや物の多くは自分以外の人が作った。人が汗水垂らして働いたおかげで今物にあふれた暮らしができている。それをを享受して快適に生活できていることに感謝する。

 トレーニングをする。運動は大好きだ。体を動かすこと、自己と向き合うことで肉体も精神も鍛えられる。よりポジティブに自信を持つことができる。

芸術に触れることも大切だ。人様に迷惑かけないように、自分なりに真面目に謙虚に生きていても不条理なことが起きるのが常である。そんな不条理や行き場のない思いを昇華した芸術は生きる希望にすらなりうる素晴らしい物であるから。サンプリングを重ねて、音を、グルーブを創りたい。

自然を愛している。すべてである。人間が生み出した物も素晴らしいが自然の前ではなにもないに等しいような物である。命ある間になるべく体全体で感じていたい。水の冷たさや木の匂い、生臭さや生命の輝き。もうすべてである。そして自然から命を学びたい。命ある時はあっという間だから。

20180802

深海の光が届かないほどに、もっと深く深いところまで、意識にすら及ばないところまで、イメージを落とし込むように。全てが俺の揺るがない軸を中心にして形作られるように。

日差しがガラス越しに差し込み、熱気が部屋中に充満する。エアコンの設定温度よりも肌感覚は暑いようだ。電波に乗り、ネットをサーフィンする。お気に入りの音楽をかける。シャワーを浴び一息つくと途方もなく永遠に続くかのような時の流れを感じて、思いを巡らせる。社会は息をつく間も無く回っている。俺はこの流れに乗れるのか。壊れやしないか。まあいい。不安はつきものである。みんな違うことを知り、自信を持てるように変化してきた。もうどうでもいいやと、適当にやっていたらいつの間にか道が出来ているのではないか。まあでも俺は、よくもまあ世界への関心が尽きないなあ。歳を重ねることは悪いことではないのかなあ。今はまだ腑に落ちない。ほんの少しでも成長しているのかな。数年前の俺と見えている世界は変わっているのかな。かっこいい人になりたい。愛に溢れた人でありたい。いつまでも俺自身でいられたら。神として、宇宙の中に、自然の中に、社会の中に、すっといられたらいいなあ。

20180810

そよ風がビルの屋上を駆け巡る。植えられた木々や草草が揺れる。奥にそびえ立つビルディングはどっしりと、ビクともしないようだ。目を開けているのに、心地がいい。下をみると高速道路が。車が渋滞を作っている。

コーヒーのカフェインがもう体を巡ってきた。心臓の鼓動が速まってくるのがわかる。どうしてこんなにもカフェインに対して弱くなったのだろうか。以前の僕は夜に飲んでもぐっすり眠りにつけたのに。体が世界に対して敏感になってきているのだろうか。

ビーガンとはなんぞや。植物にも命はあるのではないか。動物をいただくことで命をつないでいる民族は、極地にいると聞いたことがある。悪いことなのだろうか。魚はとても美味い。これを断つことが僕にできるだろうか。

体のバランスに意識を集中させる。骨格の歪みを治すようにイメージする。願う。体のバランスが崩れていると全てに支障をきたすと思うからだ。逆にバランスが取れていれば全てが見えてくると信じているからだ。骨盤のバランスを整えよう。仙骨と頭は繋がっていると確信している。

思うこと

俺は何がしたい。ニュージーランドでファームステイとやらをしたい。英語を話したいから。いけてる音楽作りたい。好きだから。持続可能なライフスタイルを作り上げたい。野菜とかフルーツとか育てたい。釣りとか山菜採りとかしてみたい。好きだから。ランニングと筋トレとスキーとかしたい。気持ちいいから。俺は何から何までいろいろ作りたいのかな。

もうよくわからない常識にとらわれるのはやめる。

過去のメモ

20161126

このまま夢の中で浸っているかそれとも現実へ戻って真実から目を背けるのかどっちかしか僕にはできない。中途半端はたちが悪い気がするからだ。

20161130

前で大学の教授、いや経済の研究者が熱弁を振るっているのだけれども、まあ皮肉であるんだけれどもどうにもむずむずして一発殴ってやらないと気が済まないような気持ちになる。目に力がないと言えばいいのか死んだ目をした魚のようと言えばいいのか…受けている受講者全体にも彼の雰囲気が移ったのかどんよりと生ぬるい空気が漂って叫び出したくなる。なんなんだ彼は。結局教授という名声を得て満足し切ったのかお前は。まだたか魅力もないなら未だしもこっちまで覇気のなさが伝わってくるのはどうしたもんか。死んだ目と言ったのだがもはやしんでると言ってもいいんだが。ドロドロに混ぜてぐちゃぐちゃにしてやりたいなあ。

20170103

今こうして風邪を引いている。体が熱で火照っているのを感じる。咳が止まらずだるい。こうして不自由な身体でいるとふと美しいものに惹かれることが多くなる。普段の健康な体の時には思いつかないような考えが浮かんでくる。それは、この世の中の儚さであったり前に書いたように儚いからこその美しさだ。いろんな人がいるし、各々悩みは違うにしろ悩みはあるだろう。それは愛情であったり将来への不安であったり、他人から見たら取るに足らないように見えることが本人にとっては空前絶後の大問題だったりするものだ。そう、そんなものが美として見えてくる。窓から見た景色、友人とのたわいもない会話からふと我に戻る瞬間にそう感じるんだ。<div>そんな中僕は今興味があることがある。数学だ。今19歳の終わり。今からこの学問、芸術を始めるには遅いと世間では言われているだろう。それでも自分が興味を持った時期が始める時期なのだから。この世の中の仕組みについて、宇宙の仕組みについて生きている間に納得して見てみたい。そのような知的欲求が僕を魅了してやまない。これまでには挫折の連続であった。自分の中で最大限力を出しているつもりであっただけだった。そのつもりを結果で出して覆してこそこれまでの自分に勝つ道だと信じている。</div>

20170202

子供が大学に通うために親は必死に働いておりそれは一般的に大金を払わなければいけないからである。自分も大学での生活を過ごしたのだしそれを子供にも味合わせたいというのは自然である。しかし大学側は経営するのに必死でありそのための大金を払わせている。入った生徒の中の大多数はもはや経営のための搾取とみなしているのが本当のことだろうと感じる。世の中が大学にいくことのステータスに優遇化を見出しているからこそ

20170221

黒髪<div>素朴そう</div><div>おとなしいけどなぜか色気がある</div><div>性に対して恥じらいがある</div><div><br></div><div>なんでだろう、日本の和な感じになった<span style="line-height: 19.5pt;">僕のタイプの女性像</span></div>

20170221

自然が豊かな場所から都会に戻るとやっぱり時の流れるスピードがはやいなあ<div>ストレスも溜まるだろうしみんなが生き急いで見える</div><div>ずっとは無理だと思うけどたまに自然を感じてゆったりするのはすごいいいや</div>

20170303

めまいが続いている。体が不自由になると健康でいる人たちが何も悩みがなさそうに思えてくるけどそれはあり得ないだろう。体が不自由になると精神的な悩みがなくなるため単純に考えることができるようになる。ただ常に体がクラクラしているためにいても立ってもいられなくなりストレスがたまる。自由なのも嫌だし、不自由なのも嫌だしもうどうしていいのかわからなくなる。

20170327

自分で自分を律せられるように<div>自分の色を、自分を知る。</div><div>(悩み)</div><div>欲望に流されてしまい</div><div><br></div><div>(具体的に)</div><div>筋トレとランニング</div><div>髪型や爪、眉毛等身だしなみ</div><div>野菜の多い食事で増量かつ、1日3食とる</div><div>文化は貪欲に</div><div>お金についてもっと知る→ただやみくもに働く以外にも為替や株などの仕組みを学んだり、お金の流れを学べば利益が得られると思うからである。お金はあらゆることを解決してくれるものであることは忘れてはならない。

20170428

横浜駅の地下に人がひしめき合っている。階段を二段ほど上がりほぼ全ての人よりも頭一つ分抜け出して見渡すと黒や茶色の頭が動き回っていた。蟻が蜜に群がるようにぐっちゃぐちゃになっている。吐き気を催しながらも階段を下りて人混みの中に飛び込んだ。倦怠感が全身を包んだかのように、いや本当に圧倒的に無力になっていたのだが、人を避けながら歩いてアルバイト先の着替え倉庫にむかった。

20170429

サンタモニカビーチに着いた。空が青い。海も青い。目が焼けるように太陽が輝き体の芯まで照っている。波が浜に打ち上がる瞬間に白い光となってまるで絨毯のように足元に広がっては消える。水平線が丸みを帯びるほど広々としている。寝不足で不規則に脈打つ心臓の鼓動がだんだんと静まってきた。見入ってしまった。ただ、それだけです。とても美しい。<div>言葉の通じないところに追いやられるとどうしようもなく淋しくなる。周りに人はたくさんいるはずなのに不安でたまらなくなる。人種と言葉の違う地域へ行くと、まるで異物でも見るかのような目で見られていたたまれなくなるのだ。

20170505

例えばオナニーをあげてみる。射精は気持ちいい。天にも登るような感覚だ。仕事終わりに自分のちんぽをしごきたいがために頑張れることがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

過去のメモ

2013 0823

🏀顔をあげてすべてプレー→ボールハンドリングをよくして見ずにつけるようにする
🏀スリーあたりのシュートの確立をあげる→手首からひじまでの筋力アップ→フォームを常に固定👇両肘を両肩より狭く高くして額の上でシュート肘は伸ばし切って手首をはじく!
🏀ボールを持つ前に次やろうとすることを考えておく!
🏀ドライブは下を見ずにゴールの最短距離を突き破る!
相手の胸に肩を入れ二歩目で体全体を相手より前に!

20131004

まず今自分が思ってることは、バスケが苦痛になっている今自分の視野がとても経験したことない位狭くなっていて、うまくいかなくて逃げていると感じていて、その逃げとしてサッカーをしたいと思えているように感じる。<div>だけど逃げとわかってても今はバスケよりサッカーをしたい気持ちが強い。<br><div>それで先生と話してる時も自分が何も成長してないことがわかり自分を変えればバスケを通して改善できるとわかっててもやりたいと言えなかった。 自分の都合のいいようにしかその時は考えれなくて、先生には失礼なことを言ったと思う。あと、これまで初心者から一年半くらい続けてきたってことは、なにかバスケに対して秘めたものがあるのは事実だと思う。また、この期間を通してこのまま逃げる感じで辞めるより、あと半年続けた方が気持ち的にはスッキリする。そのためには、まず今の自分のバスケへの考え方を変えなくてはいけないと思ってる。また、バスケがうまく行ってない今これを乗り切った時自分は成長できると思うのでがんばってあと半年続けたいと考えている。

 

 

過去のメモ

1970 0101

今心が非常に葛藤している。親元を離れてから1人になって考えることが増えた。物心がついた時から思考は続けていたけどそれがますます深まってきている。今まで僕が生きてきた中ではなかったことだ。これまでの人生にはわりと満足している。何より家族からすごい愛情をもらったから。これに尽きる。愛情の他に残ったものは無いに等しい。愛情が95%とすれば、残りの5%は家族以外の人との出会いと別れ。心のザルを通して最後に残るものは人との関わりだと今とても実感している。唯一の後悔は自分に素直でなかったことがあることだ。これは小さい時からの性格で自分がこうだと思ったことを抑えてしまうことが多くあった。要は受け身で主体的でないことが多かったこと。話すことが苦手なことは昔からわかってるから行動で示してきたつもり。これはこれからもっと突き詰めて行きたい。それしかできないから。人はこうあるべきという概念がなくなってより自由に欲望に任せて生きられる日本に生まれてふわふわと漂うようには僕は生きられない。心の根っこの部分に揺るがない灯火がある人になりたい。あやふやで弱いし流されることもある。それでもいろんな人と実際に会っていろんな土地に行って、多様多種な価値観に触れて自分というものを確立していくことが大切だと思う。引きこもってばかりではいられなくなってきた。ふらふら放浪に出てもがき苦しみたい。死なないなら。生きている限り正解は自分で決めるものだから。

嗚呼

雨が降ったり止んだり。折り畳み傘必須やな。豚が吊り下げられ、内臓を出され、切り裂かれる。鳥はケージに敷き詰められ、人間に食われるのがわかっているかのような寂しそうな目をしている。それを食っている俺。命に感謝しなければ、生かされていることに感謝しなければ。

俺の意志でこうしようとか決めてやることができている。本当に俺自身を生きることができている今、日々にわくわくしている。新しい世界に踏み出すことは怖いが、一歩進めばやるしかないのである。そして案外なんとかなるものである。成長しているのか、1人で海外に来て本当に良かった。また新たに一歩踏み出せる。そのきっかけになる。俺は俺でありたい。やるしかねえ。感じるまま、あるがまま。

天に祈る。

9月24日

ビートを聞くと街を歩きたくなる。今日はよく眠れたと思う。最近寝ても寝ても寝起きがだるかったから。腹一杯食べない方がなぜか調子がいい。空腹というか食欲が湧いてくるのが心地よく感じる。1日3食食べるという決めつけがあんまよくない気がする。お腹空いたら食べるという方へシフトしていくと精神衛生的にもなんとなくだけど気分がいい。

今香港に来ている。特にこれといったことはしていない。肌の色、容姿も似ているから気負いもそんなにない。ただ言語が通じないのと、人の感覚とやらがかなり日本人と異なり、楽観的というか大雑把なところがある。それが鬱陶しかったり、むしろ心地よかったりする。街並みはまあ世界的にはきれいだろうが、日本に普段住んでる自分からすると汚い。昨日食べたスープの中に鳥の手みたいなのが入ってたので少し意気消沈した。あとは常識は結構違うからそこは郷に従う感じでやってる。あと妙に綺麗な女性が多い。人が多いから相対的にそう見えるだけかもしれない。まあでも現代では人間のやってることはどこにいってもそう大差ない。昔というか過去のことは知らないけど。