2021/12/25

 何もなくなった。そう思ってから1年が経とうとしている。まだ生きている。不安は過ぎた。なるようにしかならん。世間から外れてしまったが、まだ世間とつながっている。他人と関わりたいと思わなくなった。ひたすら内省の日々が続く。自分の内側に意識が向いている。そういう時期なのかなとも思う。ずっとこの状態が続いてきたわけじゃない。他人と密に関わりがあったときもある。いまは違う。それでいいじゃないかと開き直っている。正直な欲求は静かに聞こえてくる。それを聞いているだけだ。これまでは恐らく無理をしてきた。だから歪みとなって表層に生じたのだと思う。

 街は静かだ。賑やかとは言い難い。まあそういうものだ。自分でどうこうできることじゃない。自分がやれる範囲のことはしっかりと、あとは世界に任せる。この考え方はすごく気に入っている。色んな場所に行っても、ひとりだと寂しい。お目当てのモノが目の前にあるというのに、なんだか儚い。手にしても、手にした気にならない。所有しても、いつかは消えていく。この体は大切に扱わないと。自分の体を労わることはとてもいい。投げやりに扱うべきじゃない。じっくりと確かめるように目をつぶる。体は近いところにある。それは奇跡的に調和している。傷は癒える。体温は変わる。呼吸は流れていく。どこをとっても自分がコントロールしているとは到底思えない。それは自然発生的に蠢いている。自分はどうしたらいいのか。とめることはできやしないのに。

 出会いは不思議だ。ふいにやってくるのだから。怖いくらい不思議なことだ。誰かに気に入られようと意識するとぎこちなくなってしまう。適当でいいのだ。

 どうでもいいよ。まったくどうでもいい。なるようにしかならんから。起きることにただ身を任せることしかできやしない。抵抗しなければどうとでもなるさ。

 カネはないし、恋人もいない。親しい人間が誰もいない。それなのにどうにかなってしまっている。なんだか気づいたらうまくやっている。この現状ですら不思議なものだ。

 俺は若い。夢がある。だからそれを目指す。それだけだ。失敗すら成功だ。好きなことだけやろう。

 風呂無し四畳半での貧乏暮らしをしてから1年経った。面白い日々だった。だが変化する時期が来ているのかもしれない。場所を選ばずカネを稼げるようになったら、ホテル暮らしなんかもいいかもしれない。まだ大きく動こうという衝動はないがね。