2021/6/9

他人が考えたルールに従うことが嫌いだ。どうも踊らされているような気がしてね。だからといって、すべてを自分ルールに書き換えることは結構疲れるものだ。賃金労働はまさに他人が考えたルールの上をなぞるように従うことだ。これがストレスになるのだが、適度なストレスは必要なんじゃないかと思ってきた。人生のすべての主導権を他人に握られるのはたまったものではないが、人生の一部を他人に委ねるのは案外悪くなかったりする。寧ろそっちのほうがいいのかもしれない。毎日4-5時間の賃金労働をしている。社会階層の末端で言われるがままに手足を動かして労働している。当然ストレスが溜まるのだが、労働後の解放感は意外と悪くもないものだ。通勤と労働合わせて6時間いかないくらいではあるが、他人の考えたルールに従う暮らしをこれから続けていこう。まあ、現時点ではこれ以外に思いつく最良の手段がないのであるが。選択肢が複数あれば、余裕が生まれる。それは理想であるし、今後目指していきたいと思っている。

金を稼いでも、何に使ったらいいのか分からない。愛する人と家庭を築き、日ごと起こった出来事を語り合う、そんな素敵な暮らしを続けられるくらいの金を継続的に稼ぐことができれば、それ以上に求めることはないと思う。豪遊したいがために金を稼ぎたいわけではないのだと思う。上でも書いたが、他人が考えたルールに従うことが嫌いだから、自分で考えたルールに従って大半の時間を過ごしたいだけなのだ。街を練り歩き、知らぬ人間の会話に聞き耳を立て、吸収したその日のネタを結晶化させる。物質的に豊かな現代で、物質に溺れずに幸福に生きるために必要な能力とは、自分自身を信じる勇気、斬新な想像力と実践力、所有という価値観からの脱却、といったところだろうか。東京23区内で、ひと月7万弱で生活している。想像力を膨らませて、目先の欲をコントロールし、まるで絵を描くように、音に身をゆだねて踊るように暮らす。悪くはないよね。以前よりも楽しく生きている。これは間違いない。この世で遊んでいるみたい。この感覚を忘れてはいけないと思う。胸が煌めくようなときめきは、私の内側からつくりだすものなんだ。かっこいい、この世で自分だけしかしていないんじゃないかな、そんな思いが楽しいんだよ。