2021/4/25

週3日客室清掃の労働をしている。優しい方々ばかりで、疲れるが充実感に包まれる。労働後にホテルから出た時の空気がうまい。PCの前に張り付いているよりも人間らしい。五感をひらいて動きに身を任せていると止まることができなくなる。気づいたら無心となり、瞑想に入りやすい。やはり私の素直な気持ちは間違っていなかった。掃除はよい修行となり得る。毎日労働をしていると、生活に一定のストレスがかかるのだが、それが私の暮らしに適度な刺激をもたらす。仕事終わりの一服を楽しむ。街を歩く風が心地よい。人気の多い日曜日の夕方。この人生でどんな対象に情熱を燃やすのか。湯に浸かり、垢を洗い流したい。

現実、心の中、どれもが言葉により描かれる。無意識である限り、時代や文化に流され続けることになる。言葉こそが現象という表現を作り出しているのである。個人とは総合人間がその胎内に蓄えた「知」を表現する器官でしかない。個人だけ満たされても何の意味もない。釈迦もイエスも「人間」だったし、どのような功績を残した科学者も思想家も芸術家もスポーツ選手もみんな「人間」だった。みんな総合人間の部分であった。どんなことであれ、特定の物事を突き詰めていくほど、実体などなかったことが判明してくる。同時に見えてくるのは「なんにでも変容する無限のエネルギー」であり、言葉という鋳型を通じて、この世における価値として存在していたのだとわかるようになる。

人生とは何だろうか。この世でどのようにやっていけばよいのだろう。まずは学び続けたい。この世は何を為すべき場所であるのか。