2021/1/30

 数年後どうなっていたいのかまではイメージできないが、1ヶ月後までに何をすべきかは想像ができる。1年後にどんな暮らしをしていたいのかも朧気ではあるが想像することができる。1ヶ月後について。平日には辞職の引き継ぎを行う。生きていくために必要な支払いを行う。新しい仕事を探し、応募する。短期間の住み込みがよい。それくらいだろう。1年後について。相場を張る。読書。セックス。以上。他にしたいことなどない。あ、英語を話せるようになりたい。投資の幅が広がりそうだから。

 資本主義が世界を覆っている。社会で生きている以上は、資本主義の構造から逃れる事はできない。山に籠もり、自給自足していくのか?街で生活する以上、多分に恩恵を受けている。資本主義との付き合い方を学ばないと、欲望に魂を吸い取られる。貴重な時間、出会い、精液、あらゆるものが吸い取られる。企業は利益追求する法人であるから、利益が出なければ存続しない。宣伝をすることで、商品を大衆に知らしめる。街中に購買欲を唆る広告がひしめき合っている。気を抜くと、気づいた頃には必要のない商品を手にしている。自らの目標を叶えたければ、欲望に流されない自制力を保ち続ける事が不可欠である。目標への道筋を具体的に計画し、そこにフォーカスできるように環境を整える必要がある。買い食い、ネットサーフ、メディア、ポルノ、これらはエネルギーを奪う。だから意識的に戒めなければ、現状は変わることがない。重くて怠い日々が続いていくことになるのだ。それが嫌ならば、自分が変わる他に道はない。資本主義は悪いものではなく、便利さを享受できる。望みを叶えるためのツールとして使用する立ち位置でいることだ。望みはなんだろうか。愛しい妻と子供たち、野菜たっぷりの新鮮な食事、天然のアロマ、温かい銭湯、夕方の海辺、血が巡るような運動、読書、カフェで勉強、音楽ライブ、優雅なレストラン、木漏れ日の中で愛犬と散歩、宇宙を感じる、次の世代の人間のためになるような活動、どれも素敵な響きだ。そして実態がない。そんな儚い風景に俺は魅力を感じている。一文無しの現状でも体験できることばかりだ。何もいらないし、いまのままで満ちている。