2020/12/26

HILVERの天板、オカムラのカロッツェチェア。私の意識に現れた、生活を彩るモノたち。昨日まで想像もしていなかったモノたち。図書館で時を過ごす。お金がかからない。暇を持て余した老人がたむろする。彼らは空虚だ。己を満たす対象を外側へ探している。今日はお米を炊いた。春菊、エノキ、牡蠣、ソーセージを鍋に放り込む。納豆にキムチ。アボカドと生野菜のサラダ。今日の夕飯である。冷蔵庫の中にある食材はしっかりと把握できている。皿を洗い、片付ける。掃除をして、洗濯を回す。生活が回っていく。私を取り囲む四畳半の中で、小刻み且つ綺麗に流れていく。小さくて手に届く距離に命を繋ぐすべてがあることが楽しい。所有に価値がなくなっていく。他人との比較から生まれた見栄が崩れていく。輝きは内面から生まれる。深く愛情を持てることが成功だ。御覧のとおり、昭和時代に構築された外的に煌びやかな世界はガラガラと崩れ去っていく。キャバクラに人が入らない。誰もが輝ける時代になった。どこに属しているかではなく、自分自身が幸福であるかが大事になった。そんなことを考えたりする。小さい頃に包まれていた自分だけの世界が、チラチラと顔を覗かせる。本当の意味で世界を楽しむという感覚が、少しずつだけど露わになっていく。お金だけあって満たされるのだろうか。あなたと海辺で語り合った事実は、お金で買える代物なのだろうか。型にはまった理想像には興味がない。だって面白くないからね。体の歪みが治り、集中力が継続するようになったら、古今東西の古典を読みたい。恐れていたどん底の生活の中で自分の軸ができてくる。自分を信じる他に道は存在しないことが確信に変わってくる。自分の道を自分で切り開いていくのだ。ゴールドが輝いている。目に反射する黄金色の輝きが美しいと思う。創造性は獄中さえ奪えない。生きている限り、溢れ出す美学を貫くのだ。恐れが足枷となり、息もできない。女のヌードさえもが煩わしいものになる。それは嫌だなあ。せめて女にだけは胸をときめかせていたい。溢れ出すほどの言葉が足りない。思いは現実となる。信じればやってくる。心は満ちてくる。私ができること、流れるように星々と一つになれること。