2020/12/30

自分の感覚を信じる。世間のあるべき論ではなくて、自分の感覚だけを頼りに前へと進んでいく。起こる出来事を受け入れる。五感を愛で満たすのだ。何を悩んでいるのか。街を観察する。今日も人間が歩いている。彼らは何をしているのだろうか、何かをしているようで何もしていないように見えてしまう。世界は私が思っているような空間なのだろうか。私がいて、あなたがいて、猫がゴロゴロしていて、太陽が昇り、洗濯物が風に揺れる。どこかへ行けば私の中の虚無が解消されると思い、横浜の映画館へ行った。それでも変わらなかった。何をすれば、何をすれば、私は変わるのだろうか。生とはこれほどまでに味気のないものなのか。塗りつぶされて黒くくすんでいくものなのか。世界はどこまで広大で深いのだろう。私が知覚していない時に、世界は存在しているのだろうか。肉体的な交わりと内的な想像力はどこか意識の奥底でつながり合っているのだろうかと考えたりもする。魅力的な異性の体を想像するだけで股間が熱くなる。夢の中で勃起し射精するという事実は、どういうことだろう。素直な気持ちを他人に伝えようとする正にその瞬間に、私の肉体は硬直し、鼓動が早まり、息遣いは荒くなる。心の動きが肉体と繋がっているのであれば、心の動きをコントロールすれば肉体をもコントロールできるというのだろうか。言葉に操られるのか、言葉を操るのか。彼は良い人であろうとする。世間的に良い人であろうとする。だから内的な存在との葛藤に引き裂かれ、欲求を食べることにぶつける。そうしないとやってられないのだ。なぜならば、そうでもしないとストレスで気が狂ってしまうからだ。じっと静かに座っていられないことが、すべての問題の根源になるのだ。私は今日もやりたいことを考えては、やりたいことが本当にやりたいことなのかもわからない虚無に憤りを感じている。やりたいことがないまま幸福な人間が許せない、意味が分からない、どうしてそのままでいられるのかわからないのだ。雪が降り、風が冷たいように、俺はどうしたらいいかわからない。何をすればいいかわからない。