2020/10/18

私は一介の派遣労働者であり、投資家である。日曜日のまどろみの中、誰もが彼方へと消えていく。今日ニュースで知ったことをわが物顔のように話す、何も知らない人間たち。ただ行く先もわからずに彷徨う人間たち。そして突然彼方へと消えていく。追い立てられる人間たち。訳もわからず労働し、明日も明後日も労働し、つかの間の休暇には来たる労働にうんざりし、時間だけが過ぎ去っていってしまう。どこへ向かうのか分かるはずもなく、東京で暮らしている。虚しさが私のすべてを包んでしまう。何の為に労働するのか。「最低限生きていくために必要な衣食住を得る」ためであり、自己実現や楽しさを求めると歯車が狂っていく。「最低限生きていくために必要な衣食住を得る」以上に労働することは、賢明ではない。現代は余剰なサービスで埋め尽くされており、大衆の意見を鵜呑みにすると、ただ生きるという本質から乖離していく。極限までそぎ落とした先に残るものを愛したいのだ。ただ漠然とフルタイムで労働し、お金を稼いでもキリがない。お金は増えていくのに、まるで社会から追い立てられているような不安感は拭えない。最低限生きていくため、どれだけお金が必要なのか把握していないからだと考える、早秋23歳である私の労働観。

生きる:家賃、光熱費、食費、生活必需の雑費、通信費、運動費

遊ぶ:本、煙草、投資金