2020/8/24

若者の方が無垢だ。自らの声を発するから、軽やかだ。こびり付いた言葉を言わされている大人たちはダサい。ダサすぎて反吐が出るほどにダサい。人は年を重ねるほど生きざまが滲み出ると思う。人のことはどうだっていいよ。いつの間にか消えていく。粘っこい波動が蔓延する場所からは、離れればいいだけのこと。惨めさが溢れている場所から離れればいいだけ。ひたすらやるべきことをやる。ただ自分を信じてやるべきことをやる。無意識に支配された大人の目は爛れていき、ねじ曲がっている。ああ、反吐が出そうだ。女性特有の柔らかさはもはや失われ、干からびていく。年を撮っても美しい生き方をしたいと本当に思う。精神は表現となって顕現する。声や所作となって顕現する。忙しそうな人間は、忙しいのだ。ゆったりが私の居場所。どれほど騒々しくても、意識を内側に向け、探求の青い炎を絶やすことなく、精進していきたい。淡々とやるべきことをやる。ヤフーニュース。はてなブログ。pornhub. エロライブ。YouTube。涅槃の書。膨大な情報の海の中で、見ているものは限られている。上記が私の世界。ふと浮かび、消えていく。快楽。仕事の苦悩。タスクが未来に待っているから私の心は憂鬱。印象は人それぞれ。買いたい商品は都度浮かぶ。買いたい本も都度浮かぶ。私の空間に人や物が流れていく。スカイツリーがピンク色に染まる。夜更けには雲がかかり、消えてしまう。眠ると雨は止み、青い空と夏の日差し。ふわっとどこかの家族の生活の香りが鼻を刺激する。鈴虫の振動が鼓膜に触れ、あの頃感じた儚い甘さを想起する。家族のことがふと浮かぶが連絡を進んで取ろうという流れは起きてこない。現状へ固執しているのか、変化を拒んでいるのか、よくわからない。それでも世界は気づかないほど微細にゆったりと流れていき、私は狼狽する。ここがどこなのかもわからない。夢とは何だろう。本当に存在するのか?形はなく思い出と表現される。星屑のように跡形もなく消えてしまう。夢があった。それはなんだろう?いろんな人と出会い、話した。どういうことだろう。言葉を話すのは、知っているから。自らの意志ではなく、偶然出会う人間が話していたから記憶に残っていく。儚いのはなぜだろう。人は話したがる。話すことで世界を認識している。どれほど洗練された言葉でも、どれほど高名な存在と謳われる人間でも、表しがたいものがある。私はそれを信じている。ただ信じている。りおちゃんとキスをする夢を見た。股間が熱くなり、恥ずかしさの中に甘い感覚があった。僕は僕の言葉を紡ぐ。今死んでもいいほどに強烈に生きる。誰もが私の目の前を流れていく。私は変わらず私でいる。スタイルが滲み出るほどに強烈に私自身である。孤独すらも抱きしめて雲の上まで登る。その先に輝く光になる。孤独すらも抱きしめて雲の上まで登る。苦しさだけが私の中に残る。半生苦しい。苦しい。精神もだが、体が苦しい。何もうまくいかないのは体が苦しいから。わけもない理由をつける。美しいグルーブに身を委ねると、何でもできそうな気がする。それは全きまでに嘘ではなく、本当にそう思うことができる。薄暗い中で夏の熱気が溶けていく。汗が滲み出ることもなく、夏は消えていく。瞑想に瞑想を重ねて、黒くなっていく。何物かもわからないが、今ここに存在している。本当のことしか求めていない。本当のこと以外はすべてをシャットアウトして、ここに存在する。死に物狂いで本当のことを求めている。海を求めている。深海の底に漂う海のきらめきを求めている。誰も聞こえない底の底まで、私の存在へ、降りていく。孤独に青い華が咲く。誰も私を引き留めることはできない。美しく輝き始める。海のように深い青色が私の存在の色である。もはやこの世のものではない。もはやこの世の存在ではない。イラついた過去がある。イラついた過去がある。絶望して命を絶とうと本気で考えたことがある。それでも私はここにいる。誰も私を止めることはできない。何もしないほうが自然に流れていく。何もしないほうが心地よい。何もしないほうが健やかで甘く、軽やかで、爽やかだ。体がないほどに、宙に浮かぶほどに、今を感じていたい。動きに身を委ねて、その中に身を委ねたい。もうこの世に返ってこれないんじゃないかって怖くなる思いすらも振りほどいて、その場面に没頭したい。夜のきらめき。この世は波のように上下し、鮮やかにネオン煌めき、雲は形を変えてどこまでも浮かび、人の流れはまだらで、直線的ではなく、曲線的でもなく、無意識に言葉が行き来し、朝は静寂に包まれ、日中は茹だるように暑く、夕方には赤い筋雲が輝く。夜は月に引き寄せされ、寂しい私の心にそっと寄り添ってくれる時間。夢を生きていたい。夢に浮かんだ人生を生きていたい。乾いた心を潤す言葉の数々に救われてきた。私もそんな言葉を書きたい。溶けてしまうほどに引き寄せられる甘い言葉を紡ぎたい。書けるならなんだっていい。環境なんて関係ない。どこでだって言葉を書けるから、私は己を見失わずに生きていける。18歳の9月の風を忘れたくない。大人のなりたくて、青年の浮ついた視線の先に、森の中に浮かぶ照明に照らされた西欧風の建物の中で、二人の男女がワイン片手に、白と赤の鮮やかな色が私をうっとりさせる。暖かい暖色で、レンガにはツタが絡まり、趣を感じさせるその佇まいの中で、喧噪と煙が場を包む。それは去っていく。甘い香りは去っていく。愛しい人は去っていく。また朝はやってきて、少し年をとったような気がして、海の波は相変わらず寄せては引いて、その間にも言葉を紡ぎ、少しの間憂いを感じるが、我に返るたびに本当のことを求めるのがわたし。もはやなにも求めるものがなくなり、ただ生きる視界には、乾いた心ないモノクロの世界が広がり虚しくなる。何者にもわたしは何度も見た変わり映えのない顔を鏡に映し出して作り笑いをする。歪んでいるその顔と、赤く充血した目と、無造作で色気の果てた髪の毛を見て、途方に暮れる。もはやどうすることもできないから考えることをやめる。また次の日にも変わり映えのない顔を眺めて作り笑いし、途方に暮れる。ゴージャスな芳香を奏でることなんてできないし、それでも時は流れていき、なんてことない一軒家の生活臭に涙する。名を馳せたと語り継がれる人間はこの世にいない。言葉だけが現存する。躍起になって痕跡を求めるこの世の人間もいつか散っていく。