何もない休日

何もない休日である。いつも同じように過ごす。少し夜更かしをしたから、リズムが狂ってくる。何もない時間が流れていく。何もしていないまま時が過ぎていく。いつの間にか10年も経ってしまう。時がたつにつれ、目の輝きが失せていく。憧れの仕事であったのに、それが当たり前の日常となる。誰かが助けてくれると待っているから、躍動感のない日々が過ぎていく。楽しいことがしたいと願っても、日常はいつも平凡だ。

溜まった洗濯物を片付け、床にたまった塵を掃除機で吸い取っていく。歯を磨き、シャワーを浴びる。コーヒーを飲むと、虚ろでぼやけていたレンズのピントが合ったように、お目覚めモードになる。爪を研ぐ。髪を切り、お気に入りの服を着る。捨てること厭わず、新しいものは躊躇なく取り入れる。大切なものは何度も直して使う。どんな時も流れを流す意識を失わないように。固執する想いが苦しみを生むからだ。

家事が終わり、街へと繰り出すと驚くほどの人間模様が繰り広げられている。

それを見逃さない。見逃したくはない。瞬間をカメラでとらえ、文字に落としていく。

煌めくネオンと東京と香りを形にしていく。問いかけを大事にし、文脈に踊らされている自分を見つめる。自分の口元から零れ落ちた言葉に、皆が飲まれていくのを感じる。それはとても美しい光景である。川の水が山の生き物へと浸透していくような様をそこに見るのだ。一つの会話が終わり、また誰かが全く異なる問いかけを投げる。そうして会話が行き交うのだ。間をおくことで、味のある舞台へと変わる。私はそれも見逃さない。

皆はそれぞれの時間を生きている。何も間違っていることはない。とにもかくも、己を信じて進んでいくだけだと思う。

私の目の前ですべてが揺れ動いていく。それはうねるように渦巻いている。前とか後ろではなく、ただ渦巻いている。私はそれを感じている。言葉には愛がある。棘の奥にさえ、愛がある。私はそれも見逃さない。

どこか冷めている節がある。それは昔から変わらない。ほとばしる情熱と興奮の背後では、どこか冷めている私がいる。笑いにつられて笑うのだ。スキップしたくなるほど興奮するときもあるが、それも流れのままにある。豪雨が静まり、突如晴れ間がさすように、笑いが続くこともない。そしてわだかまりもが、いつしか消えていく。

これからどうなるのかなんて知る由もない。知りたくもない。

風の揺らぎを感じていたい。真夏の夜風を感じていたい。其れだけが望みである。

幸せな日々。私はいつも遅れてやってくる。冷めている。ざわめく街の動きを見ている。しゃんとしていることだ。それが唯一の望みである。仕事は大人の遊び。