8月23日

夏の日差しが和らいだ日。照りつける日差しが痛くない曇った日である。語れば専門的な知識が豊富だが、そこに深さがない。しかし声を交わしただけで、銀河のように甘美で深い安らぎを感じられる人がいる。これは確かだ。私の経験から確かである。

物欲にまみれて満足するのはその一瞬で、その儚い形に虚しくなるもので。

己の精神的感度があまりにも繊細すぎるために、他者との関係があまりにも味気なく、もの足りることなく、胸のむかつきさえ感じるものであったもので。

他人との差異を広げ、自分を他者以上に立てるために生きることは苦しい。途方もなく苦しい。叫びだしたくなるほど苦しい。

俺は今だにわからない。本当に企業価値を高めるためにやりたいのか。金を稼ぐために働くのか。皆は利益が上がることに納得する。効率性が上がることに納得する。俺は何かしらの変化を生み出したい。マンネリ化して、硬直化した環境に大きな風穴を開けたいのだ。なぜか。自分が認められたいからではない。そんな浅いものではない。その方が昇進しやすいから。そんなものでもない。ずっと、どんなときも、新しい喜びを感じていたい。イマジネーションを、うちから湧き出てくるイマジネーションを使って、なんでもいいからやりたいのだ。三国志諸葛亮のように俯瞰し、船の舵取りをしたい。それが儲かるとか、世の役に立つとか、そんなためではない。ただ楽しいのだ。そうやってどこへ行き着くかすらわからない議論をし、人とぶつかり合って、やっていくことが楽しいのである。結果成功だろうが失敗だろうがどうでもいい。風の流れに乗るだけだ。グルーヴを大事にしたい。目の前のことに没頭する。道を作る。

俺は常にエナジーで満ち溢れる状態をつくる。温かみと興奮は違う。冷静さと無愛想は違う。幸せを探し求めることはなく、ただくつろぐ。そこに溶ける。

愛はどこにでもある。愛はどこへいても感じられる。縁を大切にしたい。目の前にいる人と溶けてしまいたい。

祈りは根源。

自分のために、楽しむ。