2021/7/18

昔から賃金労働が嫌いだ。時給制だから、どれだけ丹精込めて働いても、さぼっても、与えられるカネは同じ。なるべく楽しようという思惑が働き、仕事が苦痛なものへと変貌を遂げる。私は労働に追われ、生という奇跡的な一瞬を蔑ろにしてしまう。ただ、働かなければ働かないで、日中のうだるような退屈をどう紛らわせばいいのだろう?私には分からない。退屈に耐えられず、大衆は街のネオンに刺激を求める。稼いだカネを本当に必要ないものに消費する。カネは不要なものを作り続けることで私腹を肥やす企業に流れていく。街にはガラクタが溢れかえっている。大衆は本質が見えず、幻想の中を彷徨い歩く。何のために働くのか?命を繋ぎとめる以上に稼いだカネは無駄なものへとつぎ込まれていく。益々本質が見えなくなっていく。とりあえず必要なものを選別してみよう。必要なものだけに囲まれて生活を送ることで、何かが見えてくるかもしれない。必要以上に賃金労働に時間を費やすこともなくなり、自分の中で本当に表現したいことに時間を使うことができる。そしたら新しい何かが浮かんでくるかもしれない。

街は老人で溢れ、若者は少ない。独り身であることが寂しさを際立たせる。音楽を聴き、孤独を紛らわせる。コロナ渦の中で、人々は疲労しているように見えた。配達員が颯爽と原付を走らせる。明日を生きるために金を稼ぐ。終わりなく走り続けることが何よりも羨ましいと思った。時に立ち止まってしまうことはあっても、死んだら終わりだ。他人に優しくなりたいのに、余裕がなくなってしまう。明日のカネを稼ぐことに必死で、誰かのために奉仕することなんてできやしない。この先どうなってしまうのか、このまま変わり映えしない毎日がダラダラと続いていくのだろうか。私には分からない。この先のことなんて、何も分からない。考えても、考えても、答えは出ないままだ。