2021/5/30

欲望の正体を見極めること。高額であれ低額であれ、商品の表面にはメッキが貼られているだけであり、中身はすべて私が自然な状態であることを見えなくさせるための幻覚剤でしかないのだ。どうにかして欲望の糸を断ち切って悪循環から抜け出る必要がある。自律することだ。自分の立てた規範に従っていくこと。そうして初めて、すべての欲望の中身が同じであることを見抜くことができる。酒もポルノも物欲も、何もかも同じものであり、それらの欲望を叶えるために多大なエネルギーを消耗する。欲望が満たされると何かが欠乏する。その欠乏を埋めるために何かを欲望する。この連鎖の糸を断ち切らなければならない。自然な世界に回帰し、なんの苦労もなく満たされて生きたいならば自分のできることがなんであるのかを知っていなければならない。宇宙に向けて自然のメンバーであることを自ら表明する必要がある。自分はどういうことがこの世界でできるのか?探求する必要がある。学ぼうとする意思をもつことは大事なのだ。それが人生を変えるきっかけとなる。くだらないことにお金と時間を使ってそのために余計な負担を背負うのならば、色々な本を読むことに費やすことだ。そしてただ書いてあることを覚えようとするのではなく、自分ならばこのように解釈できると考えながら読むといい。書いてあることに正解を教えられてはならないということだ。そうではなく、自分なりの正解をつくること。それが自己の発見へとつながっていくのである。文字は本の上に散りばめられた道具に過ぎない。それを自分なりに組み替えるなかで自分のその特異な傾向を見つけること。つまり本を通じて自分を知るということだ。そうして日常のあらゆる物事を自分の目で見るという習慣がついたら、この話を理解できるだろう。つまり世界を理解することができる。なんの違和感も持たずにこの資本主義社会にいるから、人生が違和感だらけとなる。街にあふれる欲望なんてのは本当にくだらないものであり、それらに妄信することで、その何倍ものつけを払っていることに気が付かなければならない。消費しなければ社会が回らないのでは?なんてのは資本主義に踊らされているだけにすぎない。あなたの経営者が、あなたの街を仕切る者が、あなたを奴隷のように働かせるために掲げたキャッチコピーでしかない。かといって会社を辞めて起業しろという話ではないが、会社があまりに自分に合っていなければ辞めるほうがいい。時間の無駄でしかない。だが何を無駄にしているのかに気づいていなければ、その会社を辞めたところで同じことを繰り返してしまうだろう。自分から何かをすること、世界へ働き掛けるという姿勢を最初に持っていなければならない。それは起業も会社勤務も同じこと。わたしが自分自身を生きるときに、目に見えているのがどんな社会であろうとも、わたし自身は自然秩序のプロセスに組み込まれることになる。それは大金持ちになることかもしれないし、お金を必要としない豊かさかもしれない。どちらにしても不幸ではない。

 

少し早起きして散歩に出かけるといい。普段見慣れた貧相な街並みはシンと静まっており、誰もいないその光景を、朝暘が不思議な姿に一変させている。そのとき、ハッとした瞬間があるはずだ。言葉として感想が抱かれる以前の衝撃的な感動がある。それを毎日たくさん見つけることだ。心を澄ませば、日常の色々なところに進歩的な静けさを見つけることができる。その発見の感動こそが、この世界の本当の姿なのである。