4月30日

書くことがない。自然がいい。もうこんな季節かと度々感じる。雨に濡れた葉っぱを美しく感じる。春は花が咲き誇る。蝶が舞う。人がいなくなった廃墟の僅かに香る生活感と、周りを囲む雑草たちが侵食してくるある種の残酷さに酔いしれる。人も枯れて、天に昇る。来世は何になってるんだろう。想像すると少し怖くなった。流れは止まることない。人間の一大事などお構いなく、今日も。私も動く。心臓が鳴り、血が身体中を駆け巡る。その瞬間の縁。またあの人と会えるだろうか。もし会えたらまた語りたい。太陽の照りつける下で。

さて、暮らしの次元は上がる。何やらAIとか、IoTやらで、機械化が進むそうだ。その当事者である私はあまり変わった感じがしないけど、徐々に徐々に暮らしを覆っていくだろう。iPhoneとかもそうだったから、なんとなくそんな感じかなと思う。でも、いくら便利になってもやることは変わらない。私は私の出来ることをやっていくだけだ。目の前にあるやるべきことをやっていくだけだ。そう思うとパッと目の前が拓けるような安堵感に包まれる。だって今までだったそうやってきたから。今できる最高のことをするだけだったら、クヨクヨ悩んで、いらぬ不安に恐怖するよりも簡単だろう?私はそう考える。

最近は自然が心に染みる。まあ昔からか。少し変わってるかもね。ただ空を見上げて雲の流れをみる。街中にも季節の彩りは至る所で感じられることを知った。

リラックスしてる感じ、安らかであったかい感じ、なんかポカポカして包まれてる感じ、家族で笑ってたり、みんなと一体感に包まれたり、好きな人とキスしたり、なんかおかしくなって朗らかになったり、音楽にノリノリになったり。社会も人間の価値観や善悪の基準も時代の流れに乗りながら変化していくけど、人間の根っこは「愛」。それはいつの時代になっても変わらない。どれだけ技術が進歩しても変わらない。侍の時代であっても変わらない。農耕の時代であっても、動物を追いかけ回していた時代であっても変わらない。私はそう考える。

毎日やることはあるよ。トイレ、生活用品の買い出し、食事、料理、睡眠、トレーニング、労働してお金を稼ぐ、シャワー、掃除、光熱費の支払い、書き出すとキリがないほど無限にある。溜まったものは流していく。それがフローにあること。それは意外と気持ちがいい。ほったらかしにしていても、脳裏にはこびりついているから、気持ち悪い。日々のやるべきことはやっていく。それは流れを流すこと。それが瞑想的な生活には必要である。無努力への努力、つまりゼロへ戻るための努力。行為の中にあり続けることだ。

 

<日々頭の外に書き出すこと>

モヤモヤした不安

心が感じたこと

お金のフロー

予定、スケジュール

こうありたいと目指す像

その日にやるべきこと