なんだか
僕にとってトレーニングしかり散歩しかり思考を停止して無になれる瞑想でもあり修行でもあるような。
揺れる波のようなビートが好きだ。グルーブに乗っていたい。僕は逝かれたやつだ。
眠りから覚めるととても満たされてなにも足らないものはないように感じる。
ご飯を作る。思考する。
常にクリエイティブでありたい。
街は人はみんな瞬時に通り過ぎていく。
5月2日
4月の終わりに立山に登山に行ってきた。長野県と富山県の県境辺りに位置しており、横浜から車だととても遠かった。雷鳥沢にテントを張り立山三山、奥大日岳に登った。まだ雪に覆われており、標高も高く、太陽の照りつける日差しが肌を焼くようであった。日焼け止めを塗ったのにも関わらず、現在肌の皮が剥がれ赤い。振り返ると有意義な時間だったと思う。
なぜ登山をするのだろう。登ってる最中は苦しいし、風呂にも入らない。いつももう2度と来るものかと思うのだけれどもまた登りたくなるのである。不思議である。自然と一対一で対峙している感覚が味わいたくなるからなのか。下山して街に戻ると人間の叡智の積み重ねた歴史、文化に感動を覚える。アイゼンで雪を踏みつける感触、木の香り、風が皮膚にしみて寒い。人は脆い。あっという間に死んでしまう。一方で、人間は知恵を絞り頭で考えることで自然の猛威を楽しむことができる。地図を見て山を見て地形を想像することもできる。街には広告であったり様々な誘惑がある。そこから逃れ、人の手が一切かかってないような大自然に浸りたくなる時がある。山に登ると死が身近に感じる。そして生きていることを強く感じる。そこに惹かれているのだろうか。自分でも未だにわからない。ただ、また登るだろう。人と登るとペースを崩されるので今度は装備を揃えて1人で登りたい。
思ったこと
お米作りがしたい。作るとか大それたことだとは思う。昔は年貢として政府に納めていたほど歴史的にも日本人にとって大切にされてきたものでもあり、現代でも年貢という形ではないが、それは変わらない。多くの人にとっては毎日食べるものであり生きるエネルギーの大部分をお米から得ている。お米作りに携わることで人であったり自然であったり様々なことを学べると思うから将来自分たちが食べる分は作れるようになりたい。
4月22日
最近アルバイトしかしてない。6連勤の3日目である。mpc1000を買うためにお金を稼いでいる。onraの音はクールである。ソウルであったりファンクだったり様々なジャンルの音楽を独自に組み替えている。自然と体が揺れる。ここ2日ほど走ってないため体がなまっているよう。基本家でネットを見ていると自慰行為をしてしまうからそこから無気力になり、悪循環になってしまう。1人になりたいのか寂しいのか瞬間瞬間移り変わるからよくわからない。大人になることはささやかさに対して鈍くなることのような気がして前に進むことができない。周りの大人を見ているとどうしてもそう解釈してしまう。それすらも移り変わることだとしても。物事を売り物として、自分の利益だけを見てしか捉えられなくなったらいっそのこと死んだ方がましだ。根拠のない自信は山に登ることで消え失せた。命は重くて軽い。自信よりもむしろ生かされていることへの謙虚な姿勢でいたいと願う。自然農がしたい。音楽に酔っていたい。ビートを作りたい。そしてもう一度恋がしたい。
4月10日
継続は自信になる。自分は今何かを続けていることがない。若干トレーニングや音楽はそう言えるかもしれない。好きなことをずっと続けることは苦痛ではなくとても楽しいこと。やらされてすることはいくら興味があることでもつらくなる。いかに楽するかを考え始めたらもうそれは強制であり本当の自分ではないと感じる。好きなことを続けていると比較論ではあるが人よりもオリジナリティが増す。それがさらに自分らしさを実感してより自信になる。いいことしかないのである。さらに言うと好きなことは自然とやりたくなるものであるようにも思う。わざわざ無理してする必要はない。自然体でいることで全てがうまくいくようになる。
4月4日
今日ついにnumarkのポータブルレコードプレイヤーを買った。mndsgnと同じ機種。改造もしてみたい。オリジナルのターンテーブルを作りたい。レコファンが近くにあるのはとても恵まれている。音楽が好きだ。
ルミネの屋上階に来ている。隣に巨大企業の大きなビルがある。明かりが煌々と灯っている。まるで富をひけらかすように堂々とした佇まいである。みんな売り上げを上げるのに必死のよう。入るお店の店員さんみんな笑顔で迎えてくれる。みんなお金が大好き。数字を追う。違和感はないのだろうか。駅のホームでスーツを着た中年が携帯の向こうへと怒鳴っている。人の流れが止まらない。絶え間なく動き続ける。いつの間にか日が暮れる。風が強まってきて肌寒い。トレーニングして疲労した。とても清々しい。そのためカフェインを体内に入れてバイトへ向かう。おれはモラトリアムなのか、社会不適合者なのか、それとも極めて純粋すぎるのか。真理を求めるほどに社会から遠ざかってしまうように感じるのは気のせいなのか。
3月29日
暇 空虚な時間に耐えられずに家の外に出る
ジムで体を動かす 太陽の光が眩しい
自然はあまりにもゆっくり動くのに対して人間はあまりにもせわしない
いつの間にか春の陽気になる
車が排気ガスを撒き散らし息がつまる
それにしても太陽の陽気が暖かい
膨大な情報や広告がおれの欲を刺激する
おれがおれでいるのがこんなにも苦しいのはなぜ
まるで世の中がおれを操るようだ
いや、どうしてどこにいても空虚なのだろう
誰かと話したい
自立する時誰も引っ張ってくれる人はいない
自分で動くしかない もしそれができないならばおれはおれでなくなるのであると思う。
呼吸を整えよう
体全体で自然を感じたい
今、音に酔っている
3月20日
1週間ほど風邪気味だったがほぼ治った。軽い運動は風邪の引き終わりにいいとのことだったので軽く汗を流した。毎日毎日パソコンばっかしてると手しか動かさない。そんな日が続くとストレスが溜まり狂ってしまう。現代はそうなりやすい環境でもある。全身を動かすことや、体全身で気を感じたりすることは本当に気持ちいい。食べることが主として肉体の栄養なのと同様に、僕にとって音楽は精神の栄養であり、楽しみでもある。体を自然に委ねると何も足りないものはないと実感するのである。