2021/6/11

楽して大金を稼ぎ続けたいというのが本心である。先物からオプションに心が傾いているのは、そっちの方が楽だと考えているからだ。先物の場合、5分に1回できるローソク足での売買判断、6時間ほど集中してチャートを見続けている必要がある。甘えかもしれないが、それが受け入れられない。オプションは1日で考える時間が1時間もないと思っているから、費用対効果が抜群にいいはず。もちろん期待値がプラスになる手法を確立したらの話ではあるが。稼ぎの軸を、オプションと4時間足メインの為替トレードとしたい。この2つが今の私の理想の生活にマッチした形だと考えているからだ。賃金労働、家族との時間、人間探究、街を散歩したり、運動したり、世界中を感じたり、そんなことにも時間を使いたいのだ。それらが並行して実現できることは、私にとって絶対条件なのだ。

今日も一人で過ごす。明日も、明後日も。肉体のゆがみ、意識は内側に、外の世界に興味が注がれない。今は自分自身と向き合う時期なのかもしれない、と言いながらも、それが数年も続いている。いま自分と向き合うことをやめてしまったら、もう二度と自分と向き合うことはないのかもしれない。昼下がりはやっと夏らしくなってきて、夜はほんのりと涼しい乾いた風が窓から入ってくる。コロナ渦の東京では、人々が疲れ切っているように見えた。それでも懸命にいまを生きる人々に励まされたりもするのだろうか。語り合う人々の話の内容に耳を傾けたいと思った。

涅槃の書より。人は社会の風潮にコントロールされ、残忍なことも平気でやっているようになる。そこに罪の意識がない。選択をしているつもりで実は選択を与えられているだけであり、詰まり現代風の個性とは、純粋な個性ではない。学校とは、表向きは社会でちゃんと生きていくためとされるが、裏を返せば、資本主義で反抗せずに役立つ有能なコマを養成する訓練施設にほかならない。仕事のストレスを発散するために買い物が増えるとき、欲しくなったものは本当に欲しかったのだろうか?