2021/1/16

 将来お金について苦悩したくはないから、20代の間にお金について学ぼうと考えた。お金について学ぶということは、儲けるためのノウハウを知るということではなく、世の中の仕組みを学ぶということだと少しずつ考え方が変化していっている。言い方を変えるのなら、いくらお金が懐にあるからといって、お金の苦悩が消えるわけではないということだ。お金の量ではなく、お金の仕組みを知ることで、どのようにお金を稼ぎ、どのようにお金を使っていけばよいかの最適解が分かるのではないかと考えた。つまりお金の苦悩が文字通り消えるために必要なことは、お金の使い方と稼ぎ方を学ぶということに帰結する。お金に関することを幅広く学びたい。会計、ファイナンス、財政、経済学、投資、トレードあたりが現時点での関心事である。お金が自分のもとに入ってくる手段としては、労働・借りる・奪う・投資・起業が思いつく。優劣はない。手っ取り早い方法は、労働・借りるである。奪うは、社会的なルールによる制裁が待っているため、合理的ではない。起業は向き不向きが出るが、私にとっては性に合わない。社会に対して事業を起こして貢献したいという意志とイメージが湧かないからだ。借りるのであれば、利子分を追加して返済する必要がある。企業であれば合理的な場合もあるが、個人としてはあまり合理的だとは思わない。借金をしないように自制心を保ち、慎ましく暮らすほうが良いと考える。消去的に、手段は2つ。労働するか、投資をするかである。労働のメリットは、指示通りに働けば毎月安定的にお金が入ってくるということである。デメリットは、時間的な拘束である。投資のメリットは、労働と比べて入ってくるお金に上限がないということ、時間的な拘束が労働と比べて少ないということが考えられる。デメリットとしては、時間を掛けたにもかかわらず損失となるリスクがあることである。労働と投資を自分自身の生き方に合わせて上手く組み合わせていくことが、現時点で考える俺の最適解である。これがお金が自分のもとに入ってくる手段である。出ていく原因としては、生活するためにに必要な生活費の支出、欲望を満たすための支出、投資の損失が考えられる。先に挙げた2つは自分自身で最適に管理できていると感じている。両者が混ざることもある。欲望を満たすための支出が悪いわけではない。賢く稼ぎ、賢く使うことが目標となる。賢く使うとはどういうことだろうか。目先の欲望に浪費せず、長く恩恵が得られる物事に使うということだと考えている。安かろう悪かろうものごとにお金を使い続けることは、賢明とは言えないと考えている。かといって、マクドナルドやスターバックスコーヒーが悪いわけではない。デメリットを知ったうえでお金を支払えばよい。無意識に周囲に流されて生きていると、年を重ねるごとに人生は厳しくなっていく。意識的に自制心を保って生きていると、年を重ねるごとに人生は豊かになっていくはずだと俺は考えている。

 あらゆる不安の根源は何か。これまでの人生経験上どういった場面で不安・恐怖に苛まれてきたか。子供にとっては鬼や幽霊が出ると脅されると恐怖で泣きわめく事例を目にしてきた。大人にとって、それらは現実に存在しない架空の想像物であると認識しているから、恐怖によって慌てふためくことはない。しかしどうだろうか。金銭的な不安、恋愛的な不安、死への不安、子供から大人になっても対象が変化するだけで不安は消えることがない。お金の不安はなぜ生じるかというと、将来のことが分からないことではないだろうか。逆にとらえれば、将来の予測を立てることができれば、お金に対する不安は消えると考える。長期的な見通しは難しい。これまでの経験上では1年後にどこで何をしているのか、当初考えていたことと想定外のことが多々起こっているからだ。でも1か月後であればどうだろうか。一か月後にいくらのお金が手元に入ってきて、いくらのお金が出ていくのかはある程度予測がつく。そのキャッシュフローを知っているだけでお金に対する不安は消える。あとは毎月収支計画を立て続けていればよい。それをしないと、またお金に対する不安は何度でもやってくるのだから。恋愛においても、前もってプランを考えてからデート、告白、セックスに臨むことで、不安は消える。そして想定外を愛することができる。物事は基本的に想定外に流れていくことが多いが、動揺せずに温かい眼差しで見守ることができるはずだ。

 人間はルールがなければ動けない。だから世界はルールで覆われている。言い換えるならば、ルールがなければ人間ではない。どうしてし乗りに乗った人間と、疲弊し切ったボロボロの人間がいるのだろうか。それは運命なのだろうか。俺が考えるには、一人はルールを学び、一人はルールを学ばない。前者はルールの中で自己を解放し、新たなルールを創り出すほどの人間となる。後者は他人がつくったルールの中で、何をすべきかを見出せないままもがき苦しむ人生を歩むことになる。

 俺は自分自身を信じている。誰でもない自分自身が感じることを信じている。地を這う動物のように直感を研ぎ澄ませる。よりよく生きていきたい。過去の自分よりも下には落ちていきたくない。出来事から学び、自分自身を磨く糧にする。そう、よりよく行きたいという気持ちは確かだ。ただ生きるのではなく、自分自身を磨き上げるように生きるのだ。衣食住が基礎だ。食べる行為は高められる。少食を心がける。食べ過ぎたり、糖分を取り過ぎたり、塩っ気のある菓子を食べ過ぎると、翌日体調が怠くなる。意識が不鮮明になり、目先の欲望に流されやすくなる。自制心が利かなくなる。集中力が続かなくなる。あっという間に時間が過ぎて、夜に溜息をつくことになる。負の循環が続く。それを断つために、意識的に自制心を保つようにする。文字通り、意識を意識する。自分のすべてを、魂を、ここに置いていく。そんな風に日々を生きたい。

 決して信用取引はするな。生きていくうえで必要な資金にまで手を付けないこと。言い換えれば、余剰資金で相場を張れ。他人の言動に惑わされないように、自分の感覚だけに目を向ける。エゴではなく、相場から聞こえてくる音に耳を澄ませば、自ずとやるべきことは分かる。上がったら買い、下がったら売れ。本物は一つの銘柄でも利益を出せるのだ。資金効率を高めるために銘柄選択をしているのであって、最優先事項ではない。どこに張るかよりも、いつどれくらい張るかの方が重要である。書き続けてしか感じ取れない何かがあるように、売買を続けることでしか見えない何かがある。自分の考えではなく資金の大きな流れについていくこと。流れに決して逆らわないこと。水になるのだ。優位性がある手法を一つだけ選び、それだけを磨いていく。