日が沈み、夜が更ける。私は自分のやるべきことをやっている。髪型をお団子に結んだ女性が可愛い。ミステリアスで地に足をつけている様がとても素敵である。とてもキュートだ。本の世界に没入している姿は、浮足立って宙に浮いている世の大半の女性よりも輝いている。その姿はとても素敵だ。その姿に森にすむ天真爛漫な少女を重ね合わせる。無垢なものはなんだって美しく、その存在に魅了される。私は自分のやるべきことをやっている。性エネルギーが体に充満しているから、集中するべき時に爆発できる。基本はゆったりと静かに構えている。それが世の基本だからだ。時折、突風が吹き荒れるように、すい星が輝くように、流れる粒子となるのだ。基本は静寂を保っている。プレイボーイカルティ。彼は宙に浮いている。そのむき出しの音色に魅了される。私は彼のビートに跳ねる飛魚になっていく。多様な人間とコミュニケーションをとるだけで、いい仕事ができる。内に閉じこもっているだけでは、色彩放つ仕事はできないのだと実感する。そして、充実感が身を包むのだ。八ヶ岳に行きたい。あそこは川が流れているのか?清流に身を浸したい時があるのだ。都会は疲れる。いるだけで癒されるのは山脈だろう。そこは太陽が近く、命が豊富だ。直感が研ぎ澄まされ、存在するだけで瞑想となる。ビートを泳ぐラッパーのように、私は本物の水中を泳ぐのだ。また明日がくる。そう考えるとうんざりするのだ。今に溶ける瞬間は、考える自分すら消える。そこに漂う風のように、最高のフィーリングだけが身を包むのだ。考えるだけでうんざりするのだ。意識的に動作すると、ぎこちなくなる。悪い癖ですら、癖となって自動化していく。気付いた時には、身体のどこかしらが病になっていく。癖を矯正するには、意識的に動作する必要がある。それはとてもぎこちない。あまりにぎこちないのだ。でもそれは無努力への努力である。そこを通過しなければ、タオに流れることはできない。タオに入ることは、いまに没入することだ。それを意識的に眺めているだけで、すべてが片付いていく。思考を使わないから、疲れることもない。体が流れていく様を眺めているだけで、すべてが片付いていく。それを作業と呼ぶ。作業は人間世界で嫌われているが、本来はとても気持ちの良いものだ。偶然に偶然が重なり、すべてが片付いていく様を目撃することになる。行為は身を潜め、魔法の杖を振るように、煌めく輝きだけが後に残るのだ。私はどこへ向かうかわからない場所へ向かう。踊るのでもなく、死にもしない、生きることもない、輝くこともなく、色あせることもない