書くことで自己を保ってきた。心をさらけ出すことで、あんなに重く圧し掛かっていたはずの想念が解けていくのを感じるのだ。また朝がやってくる。ついこの前はゲロを吐くような朝だったが、いまはそれほどでもない。少しばかり性エネルギーが充満しているのを感じる。何時も冥想している。血が流れ、内面で細胞らが蠢いているのがわかる。逆に外面に思いを馳せる。そこは私の大嫌いな世界が広がっている。人間が行き来している。車の走る音。冷蔵庫の機械音。いつもサイレンを鳴らす耳を劈くばかりの救急車、消防車。彼らは仕事がないとつまらないのだろう。僅かなルール違反も見逃さない。朝になると人は目覚める神秘さよ。今日もただ歩き、歩き、歩く。虚しさが纏わりつく心だとしても、歩き、歩き、歩くのだ。孤独を感じている。愛しい女性とキスがしたい。柔らかな手を握りしめたい。そのまま胸の中心へ抱き寄せてしまいたい。私はとても孤独を感じている。朝目覚めた瞬間から、孤独を感じている。人と会話を重ねても、重ねても、どこか儚くて、あっという間に過ぎ去っていくのを感じている。だから寂しいのだ。この気持ちをどうすればいいのだろう。また仕事が始める。スッキリしない。仕事が重く感じる。また上司から指摘を受けるのか。突然仕事が降ってくるのか。ああ、仕事を楽しむことができていないなあ。人間世界はあまりにも情報量が多すぎて、無意識でいるとネガティブになっていく。だから、暮らしは簡素でありたい。何もない状態が落ち着くように感じる。スッキリとしている空間が好きだ。そこには死が広がっており、とても安らかだ。また夜の高速道路を走りたい。隣には愛しい女性を連れて、人気のないドライブスルーで他愛もない会話をしながら、永遠の時間を過ごしたい。私の愛は、皆へ広がっていく。また、口がへの字に曲がって、何か考えているんでしょ。そうだ、思考が絡まってくる。思考と距離ができたのなら、思考が自分ではないのなら、ふとそこに浮かんでは消えていくものであるのならば、それがどうしたものだろう。私はいつも無意識で、思考には苦労している。思考を何とかしたいと思うのは、思考だ。この矛盾よ。とても哀れな私というエゴ。どうすることもできず、世界に殴られ続けている。また一週間が始まる。イチローのように、自分ルールを形作り、そこに自身の内側から滾々とあふれ出てくるエネルギーを流していたい。良いことも悪いことも、気にも留めず、ただその瞬間に没頭していたい。それしかないのだ。まさに、それ。それしかないのだ。世界は広いようで、私の中に広がっている。ならばそれを感じている私はどこにいるのだろう。誰なのだろう。人間なのだろうか。目、耳、鼻、舌、皮膚、これらが世界を映し出す。世界はコントロールするものではない。勝手に蠢いている。それを受信することしかできない。能動的であるというのはありえない。そこでやるべきことですら、世界の循環なのだ。それが流れ、この体が動き、いつか消えてしまう。私の都合やこうあったらいいのにという希望ですら、いつか世界の方から受信した、都合であり、こうあったらいいのに、なのだ。どれが記憶に蓄積し、ふっと出てきただけに過ぎないというのに、それを私の思いとする愚かさよ。いつかなんてやってこない。どうあがいてもぼろが出るだけだ。雲が流れ、人が流れ、大気が流れ、水が流れる。どこを見ても流れていく。高校の修学旅行先で訪れた、広島のお好み焼き屋さんはいまも元気に営業しているのだろうか。結衣は元気でいるだろうか。もえかは元気でいるだろうか。懐かしい気持ちをありがとう。ありがとう。私はあなたに出会えて幸福でした。夢うつつで溶けるような青春と愛を感じることができました。女性の柔らかさを知りました。寂しいときには、あなたたちと過ごした僅かな思い出が、私の中にポッと火を灯してくれます。私はいま、自分と深く向き合い、ただ犀の角のごとく、ただ独り、進んでおります。今はその時期なのです。若く、真理を追究することは、変人でしょう。まさに、変人というほかないでしょうが、それでも私は自分を信じて、己の道を歩いていくだけなのです。朝、無の安らぎから世界に突然分離された朝、思いを書くだけで、少しばかり楽になるのです。今は少しばかり心は落ち着いています。今日から一週間仕事をします。思考が絡まった時は、プールで泳ぎ、基本はゆったりと構え、淡々とやりましょう。体が流れていくのを感じながら、淡々とやりましょう。