神が己の外側に存在すると考える為にそれを求めて努力するのである。
しかし己の神はすでに存在してるのではないか。
どうして己を離れて外側にある何かを追い求めるのか。
体が健康でなければいけない。寿命は長引かせた方がいい、とか。
さらに薬を使ってまでそうする者もいる。
絵を描く前にカンバスは完全でなければならないというのが、その比喩である。
しかし、一体何がカンバスで何が絵なのだろう。
ハタヨーギーにとって、体がカンバスで、神の探求が絵である。
ところが実際は、体自体がカンバスである神の上の絵なのではないか。