10月24日
俺が確信したこと。それは、どんな時も自分であること。それだけがすべてだ。
いいものに触れている。耳から踊り出すビート。漂う雲。その奥の青々とした空。秋晴れ。虫の音。呼吸。地面と足の裏との接地点。調和。木の葉が風で揺れる音。夜には月明かりが。魚が水面に顔を出す。日に当たりたいのかな。ああ、自然はすべてが調和。誰も争わない。すべては愛。論理などない。愛だけだ。
すべてが俺にこびりついた垢を拭い去ってくれる。無垢を感じる。
そう。他の誰かになる必要なんてない。社会は今の自分だとダメだと追い立てる。変わらないとと追い立てる。こうあるべきだと決めつける。全く違う。狂っている。
ただ自分であればいい!ありのままを踊ればいい。歌えばいい。これは俺が俺の手でたぐり寄せたコペルニクス的転回である。世界がひっくり返る。希望なんてない。明日はないから。
だから、俺は俺を創り続けていく。
目先の金じゃない。未来はない。今しかない。責任を全て引き受ける。それが自由である。囚われから逃れることが自由ではない。何かをすることができる余裕があることが自由ではない。ただあること。それが自由である。
働く。自分のために。食べる。ぐっすり眠る。鍛錬だ。それはみてくれではない。何かの報酬があるわけではない。内へと入るために。アシュタンガヨガ。そう、形から、体からだ。
生かされていることに、すべてに、祈りを。