8月19日

人それぞれ根底にある価値観が異なっていることを考えさせられた。

自然農は素晴らしいと思うが、そこに費やす気持ちや時間の違いなどにより変わってくる。要するに、たとえ自然農といえど人それぞれの農である。それにより田畑の風景も異なってくるのであろう。だから、おれ自身が信じる農をしようという気持ちが確信へと変わったのである。

揺らぐ水面に映る光が僕を照らす。月が朧だ。トンボはあの長い胴体で息をしていた。稲の間には様々な虫たちが。名を知らない草は勢いがあった。

思考を止めるべきなのか。いや、しかしもう止めることはできそうにない。いや、考えることができるのならそれをうまく使えばいいのではないか。

便利になることはそんなにいいか。これも中庸である。便利すぎると見失う。現に今の社会のサービスのほとんどはその裏側まで知らない。何もしないのは人の知性の持ち腐れではないか。それならば、便利さもちょうどよくがいい。

おれは、自分の命を繋ぐのに必死である。その邪魔をする者がいたら、躊躇わずに蹴散らす。しかし他の命のこともしっかり考えた上で適正な範囲で蹴散らす。

人は空だって飛べるのだから、なんだってできる。